【木曜日23-08】安岡正篤先生本(8)

古典に学ぶ

○安岡正篤先生の本。年末に買った到知出版社の「安岡正篤 活学選集」全10巻から。(東洋古典2冊)

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『人物を修める』(1977、2018)

・「重役たる者は、忙しいということを口にしてはいけない」 佐藤一斎

・ここまで発達した科学・技術は、今後改めて道徳と結びつかなければ、恐るべき破壊に瀕するに違いない。(ニクソン大統領 特別補佐官 モイニハン)
・「道徳」は、「敬」するという心と、「恥」ずるという心になって現れる。

・東洋人は、事業だけでは満足しない。「徳業」にならないと満足しない。

・陰陽の割合は、陰が51%、陽が49%ぐらいであるのが一番適当。

・学ばないから混乱が起こる。「学んで思わざればくらし、思うて学ばざればあやうし。」

・明るいということは、最も大事な本質。

・専門にとらわれるということは、部分に堕すること。

・古典は人間にとって大きな教えであり、また救いにもなるばかりでなく、下手な専門書を読むより、はるかに人間としての活きた示唆や反省を与えてくれるもの。

○確かに、乾いた心に染み入ってくる感じがする。

・知ることは、物をわかつこと。分かれていくうちに、次第に根本から遠ざかる。
・それを救うのが、結ぶという働き。「わかる」という働きと「結ぶ」という働きが一緒なって、初めて生、存在、実在というものができる。

・孔子の儒教を一言でいえば「偉大なる生の学問」ということができる。
・「われ、いかに生くべきや」ということに尽きる。
・儒教は、修身・斉家・治国・平天下の学問である。
・「論語」を本気になって読めば、孔子の偉大さが分かる。人間として一番徹底した人、できた人はやはり孔子ではないか。

・「士大夫三日書を読まざればたちまち理義胸中に交わらず。」(宋の黄山谷)

・まず吐いてから吸うのでなければ、本当の呼吸とは言えない。呼(息を吐くこと)吸(すうこと)。

・儒を学ぶものは、必ず老荘を学び、老荘を学ぶものは、必ず儒を学んで初めて全きを得る。

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・「胆識」とは、安岡学の神髄ではないか。
・逆境の時に、安岡先生の教えというものがいかに大きな力になるか。
・「喜神」を含む。どんなに苦しいことに遭っても、心のどこか奥のほうに喜びを持つ。

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『先哲講座』(1988、2018)

・真剣に歴史を学べば、解決策というものは全部書いてある。

・生きた人物と精神のかよった施設。
・理論と設備だけでは、人間教育はできない。
・文献の本当の意味は、賢者あるいは哲人と記録である。

・「患難は亦これ事を経ざる人の良薬なり」

・才を用いるには、警戒と訓練が必要。

・本当の利とは、義の和。

・「人を用うるは其の短を棄て、長を用うべし。人に癖無き者は稀なり。大本の所だに違なくば、少しの癖は癖にならず。」
・「されど小過をとがめず、備うるを求めず、そのものの癖と疵とを見て用うるにあり。」

・「陰徳とは、善事をなして、其善を人の知らんことを求めざるをいう。」
・「子孫の為に美田を買わず」 
・広く善事を行い、陰徳を積むと、その徳がめぐって子孫の幸福となる。

○これを目指したいな~。

・「十年といえば長きようなれど、過隙の光陰指折り侍るべし。」

・立派な書物を選び、これを読んで、十分だというところまで考えて、本当に自分の心でつかむことを目的とする。

・「開闢以来の第一人(ただひとり)のみ」

・「能く人の言を受くる者にして、後一言を与うべし。」

・男子は、五十過ぎから、立派になる人間と、俗物になる人間とに分かれてくる。

○51歳の今、俗物にはなりたくないな~。

・人間学の根本、本筋は、「修己治人」。

・「一善を廃すれば則ち衆善廃る。一悪を賞すれば則ち衆悪帰す。」

・広瀬淡窓(大分県日田生まれ)は、教える、学ぶ、改めるということは、自分の問題であり、まず自分を新たにしなければだめだと常に教えた人。『自新録』

○奥さんの実家の隣町の人。

・「学而時習之。不亦説乎。」 学んで之を時習(じしゅう)す、またよろこばしからずや。
・日常体験する一つ一つを、いい加減にしないで、そのとき、そのときを生かして勉強する、活用する、これが「時習」。
・「習」という字は、親鳥が翔ぶのをお手本にして、ひな鳥が翔ぶ稽古をするように、体験する、実践をするという意味。

・本当の学問は、年をとるほど、世にでるほど、やらなければならない。

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●参考

投稿者:関根雅泰

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