【木曜日22-23】安岡正篤先生(6)

古典に学ぶ

○安岡正篤先生の本

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『朝の論語』 安岡正篤(1962、2020)

・孔子の生まれた魯の国も、国の政治は乱れ切っていた。
・魯は、孔子が理想にした大政治家 周公旦の後裔の国。

・政治家は、まず自分自身を正すことが根本。

・政治における孔子は、ほとんど成す所なくして終わった。
・天は、彼に永遠に生き、人類を導く聖者たる地位を与えた。

・「事に敏にして、言に慎み」
・何事も深く分かってくれば、めったなことは言えない(言に慎む)
・「敏」キビキビ処理すること。

・人間はきびきびと常に何かしていなければならない。

・資本主義的弊害というものは、あらゆる価値の標準を、利己的、享楽的な金融的成功とでもいうべきものに置いたこと。

・自分の学問はまだ未熟なので、どうして世の中を治めたり、国民を救う責任の地位におってよいものかということを、反省せねばならない。

・人間の健全な発達のためには、第一、常に自然に恵まれねばならない。
・農山村に住む人々は、非常に自由と幸福に恵まれている。

・感じなくなるということは、生命の化石化の始まり。
・文、質に勝って軽薄になるより、質、文に勝つ野性的な方が確かに望ましいこと。

・人物たるには、まず気力、次に志、反省、義と利の弁別。

・理想を持ち、現実の色々な矛盾、抵抗、物理的、心理的、社会的に貴重な体験を経て、生きた学問をしてこないと、見識、識見というものは、養われない。

・人生の色々な悩み、苦しみも受け入れて、ゆったりと処理していく。

・人物になってくると、風格、風韻、韻致というようなものができてくる。

・人物が至極できあがって申し分ないのを聖人とすれば、人物の本筋ができあがっているのは、君子である。
・聖人というべきえらい人物にはお目にかかれない。せめて君子というべき人を見ることができれば結構だ。

・「以徳報徳 徳を以て徳に報ゆ」

・恥を知って始めて人間らしい人間、恥ずかしくない人間になれる。

・道徳とは、いかに喜び、いかに怒り、いかに悲しみ、いかに楽しむか、つまりいかに生きるかということに、正しい自律をたてること。

・まずその身を正しくするということから始めないと、政というものも決してうまくいくものではない。
・その身が正しければ、令せずして行われる。

・最後まで失うことのできないものは、信であると断言。

・健康な人間の根本的機能は、おっかなびっくり生活するようなものではない。

・自分は分からないが任せる。こういう風に信頼させよ。

・孔子は常に、己に向かって語っている人。

・自分というものこそ、人にとっても最も不可知であり、取り扱いにくい難物である。

・60頃になると、自分の充実と共に、確かに他を受け入れられるようになる。これが「耳順」である。

・我々も学べば、聖人になれる。

・小乗なき大乗、小学なき大学、修身なき治国平天下はない。

・尋常、日用の工夫に徹するのが、本当の大修行。

・自然は、法の支配する所 rule of lawである。
・その自律 of law を知らず、刑律 by lawしか知らないところに堕落がある。

・日本人は昔から論語を米の飯のように心に接種しつづけてきた。

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『百朝集』 安岡正篤(1987、2012)

・この書に収められた百の詩歌文章は、私の内面世界、心の王国の名所旧跡ともいうべきもの。
・私の学問信仰から抽出した成分の一部といってもよい。

・「独を楽しむ」とか「閑に耐える」ということは、よほど修養が積まねばできることではない。
・それにはやはり細やかに山水を観じて楽しみ得ること、読書尚友を楽しみ得ること。

・「此の世に客に来たと思えば、何の苦もなし」「元来客の身なれば好嫌は申されまじ」伊達政宗 家訓

・腹を立てぬ呪文「おんにこにこ はらたつまいぞ そわか」
・人間万病の根源は、「怒」の字にある。

・「そ記」要点を箇条書きにすること。

・学問とは何であるか、窮して困まず、憂えて意衰えず、禍福終始を知って惑わぬ心術を養うを本義とする。

・「一利を興すは、一害を除くにしかず。一事を生やすは、一事をへらすにしかず」
・政治とは、省治である。

・「少(わか)くして学べば、壮にして為すあり。
  壮にして学べば、老いて衰えず。
  老いて学べば、死して朽ちず。」 佐藤一斎『言志晩録』

・「一年の計は、穀を樹(う)うるに如(し)くはなし。
  十年の計は、木を樹うるに如くはなし。
  終身の計は、人を樹うるに如くはなし。」 『管子』権修

・「間話を説き、間書を看、間事を管するの尤も当に戒しむべきを知らず。」

・欲を少なくして迷を医す。事を省いて忙を医す。客を謝して煩を医す。山に対して疲を医す。書を読んで俗を医す。

・「六中観」をなして、いかなる場合も決して絶望したり、仕事に負けたり、屈託したり、精神的空虚に陥らないように心掛けている。

・「死中活有り、苦中楽有り、忙中閑有り、壺中天有り、意中人有り、腹中書有り。」

・「得意たん然、失意泰然」

・There is only the morning in all things. 万事要する所唯朝のみ。朝こそすべて。 英国格言

・意見の善いということが多数というものの主である。表面は少数でも、善者は真の多数である。

・「雲のかかるは月のため、風の散らすは花のため、雲と風とのありてこそ、月と花とは尊とけれ。」熊沢蕃山

・私は、日本人自身の思想信仰は、究竟するところ、神道に帰すると信じている。

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・百朝集は、終戦の日を挟んだ100日間。
・1945年6月9日~12月21日。
・六中観で、100日間の提唱を了した。

○終戦時の混乱の中、安岡正篤先生の百朝集に勇気づけられた人は多かったんだろうな~。

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『新編 世界の旅』 安岡正篤(1994)

・(船旅で)白紙の一月を持つことができる。
・三十日程は、雲と水とを見てくらすのだ。

・旅は時に人の心情を浄めて、想像を天翔らすものである。

・結局、人心風俗が思い切って改まらぬ限り、戦争はいつまでもなくなるものではない。

・パリの世界性は歴史の近代的なもので、それはラティン精神が文明化された世界に趣味の形で表れ、男の意志ではなく、女の魅力で征服している。

・志那人は、大人を重んずる。老を尊ぶ。
・おっとりしている、独り楽しむことができる、煩わしいことを嫌う。老の大切な意味は、なれる、ねれる、ということである。

・ナポレオンの不幸で不徳であったことは、彼が心から愛ということを解せず、真の友情をも知らなかったことである。

・エマーソンの名著代表『偉人論』

・古来、日本や志那では、言行一致、表裏洞然たることが重んぜられる。
・西洋では、割合平気で、人と業との分離や乖離すらも容認するようである。

・イギリスは出来上がってしまった。老成したということが、彼の一番の悲運である。
・老子の言うように、人も、国も、民族も、常にどこか若い、未完成の所がなければならぬ。

・ハーンクロイツは、卍とばかり思っていたが、ドイツに来てしみじみ見ると、(逆)卍である。イギリスでは、Swasticaという。
・卍は、梵語で、Svastikaといいう。

・ヒットラーも、憑きものの状態を持つ天才。
・ルドルフ・ヘス氏の悲劇は、何処か西郷隆盛的なものがある。

・アメリカ今日の繁栄は、フロンティア愛と、パイオニア精神の所産である。

・西洋民族は、ハンター生活から、近代文明に直入したように見える。
・欧米を旅してしみじみ思うことは、日本の国土や、山の幸、海の幸に対する感謝である。

・明治時代とは反対に、日本民族がその窮地に臨んでいる西洋民族を少しも早く正し救いに導いて、人類共栄の大道に協調させねばならぬと思う。

・農民と漁民、農士と海士は、日本国民の陰陽両面を代表する存在である。

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・『世界の旅』の出版は、戦争勃発のちょうど1年後(昭和17年12月)であった。

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投稿者:関根雅泰

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