【木曜日22-19】「比企学」安岡正篤先生(4)

古典に学ぶ

○安岡正篤先生関連の本と、「大学」と「論語」

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『安岡正篤の世界~先賢の風を慕う』神渡良平(1991)

・昭和の精神史に大きな足跡を残した安岡正篤氏の「人と思想」の研究の著。

・「自分が薄っぺらな人間ではダメだということを痛感」

・共産主義は、政治思想としては、王道に属するものではなく、権謀術数を用いて覇権を争う覇道である。

・佐藤栄作は、安岡を次のように評価。

  飲めば飲むほど酒の味
  語りあかせば人の味
  男が男にほれる味

・中国は、最後は道義には勝てない、結局は道徳によるほかはないという結論に達した。
 権謀術数のことを知った上で、「修身斉家治国平天下」の思想を生み出した。

・読書尚友 人類の精神的遺産が私への遺産となる。至福感。

・学問はあくまでも心田の開拓でなければならぬ。

・北一輝、大川周明といった右翼思想家が集まった大学寮。

・安岡は、山本五十六に、陸軍と海軍は、どうしてこうも気質が違うのかと聞いた。
 山本は「深夜、甲板士官として、艦の運命を双肩に担い、満天の星の下、暗夜波濤のくだける音を独り聞く時の感慨こそは、陸では味わえません。この体験こそが、陸と海とを分かつものです」と答えた。

・夢窓国師は、足利尊氏はどんなに酔っていても、必ず「一座の工夫を為さずんば」眠りにつかなかったという。

・おそまつな人間ほど吠えたがる。
・迂遠なようだが、古今の聖賢に学び、着実に人物をつくっていくにしくはない。
・それ以来、安岡は、国士、革命家たちと袂を分かち、研究執筆と人材育成に邁進していった。

・安岡の長男である安岡正明の回想では、金鶏学院を率いているころの安岡が最も厳しかった。

・人工の光を消して、月明かりに端座するというのは、安岡がよく用いた修養鍛錬の方法。

・安岡の教育方針は、一対一が中心。
・教育の効果を考えた場合、少人数に徹すべきだと考えた。

・金鶏学院という「入れ物はできたから、これに魂を入れなければならない」と、学院生の教科書として執筆したのが「東洋倫理概論」。

・郷先生が、各地にいたからこそ、地方の文化水準は高かった。

・(日本農士学校の建設地探しに)菅谷にやってきて、畠山重忠の居住の跡を発見した。
 安岡は、菅谷がすっかり気に入り、嵐山町に土地買収の依頼をした。

・私は、諸君が二宮尊徳たることを望む者であります。

・安岡は「問答無用」と言って相手の意見に耳を貸そうとしない行動主義は、結局はファッショの道につながることを知っていたのだ。

・昭和21年12月、安岡は公職追放されると、埼玉県菅谷に移った。

・日本農学校の経営を引き継いだ埼玉県。人格教育の場は、技術教育の場に変化していった。

・(敗戦後の)日本の秩序は、天皇の存在によるものであり、GHQは、政治改革は天皇制までは手を付けない方がいいと判断するようになっていた。

・強いて役割を分担すると、敬は父親の役目であり、愛は母親の役目になる。
・敬という心は、少しでも高い境地に進もう、偉大なるものに近づいていこうという心。

・「一燈照隅 万燈照国」
・自分が今いる所を照らす。

・安岡の中には「郷学」の復興こそ、国の繁栄に欠かせないという考えがあった。
・郷学とは、郷土の先賢を顕彰し、その学問、業績を、郷土の人々に回復させることである。
・田舎での学問の振興こそ大事。

・「『恨むらくは十年読書せざりしを』とうい言葉がある。従来の会社生活で、専門の技術書の渉猟に追われて、聖賢の書に浸潤する機会の少なかったことの哀れさに愕然としました。」(三菱化成工業 桑田時一郎氏)

・書物が主体で、自分が受け身になっている。
 自分が主になって、今まで読んだものを、再び読んでみる。「古教照心、心照古教」

・「三島由紀夫君が、もっと早く東洋と出会っていたら、こんなことにならなったのですが」

・「生きているときに、人々の心の中になにかを残すことができれば、それは末代までも続く。僕の生き方はそれです。」

・人間は大成しようと思えば「有名無力」にならないように気をつけ「無名有力」にならなければならない。

・安岡自身、老子の「上善如水」を実行し、水のように他者を活かすことに徹したのだった。

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『人物を創る 人間学講和「大学」「小学」』安岡正篤(1988、2015)

・西洋近代の哲学だとか、社会思想だとかいうものをやっておると、人間がなんだか寂しくなったり、もどかしくなったり、あるいは神経衰弱気味になったりする。なぜなら、これは知性の学問、知識の抽象的な概念と論理の学問であるから。

・生きた学問、活学をやらなければならない。
・心が照らされるのではなくて、心がすべてを照らしていくような学問をしなければならない。

・孔子の門流は、大略二派に分けられる:孟子の理想主義派と、荀子の客観主義・現実主義派

・孔孟の学と、老荘の学は、あるところまでゆくと必ず一つになる。
・幼稚な頭ほど、物事を分けたがる。

・「六十にして、六十化する」とは「六十になっただけの変化をする」という意味。

・本当の学問とは、道楽でなければならない。その代わり、年季をいれなければできない。

・「知を到(きわ)むるは、物(法)を格(ただ)すにあり」

・酒を入れる徳利

・人が見ていようがいまいが、自分自身を絶対化することを「慎独」という。
・「独善」とは、世間の人間がいかに生きようが、自分だけはあくまで善に生きるということ。

・地位が高くなると、その人の特異点は高くなる。だから、一言一行を慎まないと、とんでもない影響を及ぼす。

・How to doよりも、How to be「どうあるか」がもっと根本。

・「小学」を学ばなければ「大学」は分からない。

・日常実践の学問が「小学」
・表向きは、朱子の編著だが、本当は弟子の劉子登が編纂にあたっている。

・孟子を読む以上は、荀子も読んでほしい。

・酒はいくら飲んでもよいが、乱酔するまでは飲まない。「唯酒無量、不及乱」

・夫婦は違ったものが一緒になるので良い。

・「おんにこにこ 腹立つまいぞや そわか」
・私憤はいけないが、公憤はよい。それよりも、自分の不肖に対する怒りは大いに発したいもの。

・シナ嫌いの平田篤胤でさえ、諸葛孔明を、孔子以降の第一人者と褒めている。

・「小学」なくして「大学」なし。
・現代の悩みは、「小学」を無くしてしまったところにある。

・「大学」を読んで「大学」を楽しみ、そこで説かれている原理を、いちいちと自分の農業生活にあてはめていく。

・朱子学派は、現在の秩序を是認。陽明学派は、変革してゆこうという態度。

・私淑する人物を持ち、愛読書を持つということが、人物学を修める根本的、絶対的条件。

・心中常に「喜神」「感謝」を含み、「陰徳」を志す。

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『人に長たる者の人間学』伊與田覺(2006)

・人間学には「三学」がある。
 1)小学:修己修身の学『小学』
 2)大学:修己治人の学『大学』
 3)中学:調和、創造、造化、天、神の学『中庸』

・大学、中学、小学を網羅した書物、これが『論語』

・人のことじゃない、自分自身をいかにつくっていくかというのが小学。

・「脚下照顧」履物がちゃんと脱げているかふり返って見よ、これが人間修行の第一歩だぞ。

・老子の教え:玄徳(根のように見えない)を養う
 孔子の教え:明徳(内にある太陽)を明らかにする

・欲がなかったわけじゃない。たくさん欲はあったけれども、その欲を抑えて一つに集中したためにできたこと。

・「我が心の如く相手を思う」というのが「恕」。

・「正しい」とは、道理、道義に適っている。

・利と義は、裏と表の関係にある。

・世界で最も多い参考文献のある書物は、バイブルと論語。

・日本に「論語」が伝わってきたのは、応神天皇の時代。
・西暦285年~405年ぐらい。

・孔子は、生涯を貫いて、学んで厭わず、教えて倦まず。これが真骨頂。

・素読というのは、意味をとるのはあとにして、目と耳と口と、その皮膚の感覚器官を全て動員して読むという所に重点が置かれている。

・「覚知」説明しようと思っても説明できない。

・孔子は、五十を過ぎてから、主体的になった。

・自らそういう立場に置かれた時に、それを乗り越えていった。ここに孔子の偉大性がある。

・「敬う」と「恥じる」は、心の両面。

・「能止健、大正也」 健康はつらつとしているときに、グっと伸びる力を抑える。

・「論語」の目指す人物像というのは「君子」というもの。
・そうなろうと努力している人も君子と呼んでいる。

・スピードが出れば出るほど、これを制御するものをもたんといかんのです。

・孔子の教えをきゅっと引き締めるために、少し理論的に解明したのが「中庸」という書物。

・日本の神道は、万物を生成化育していく根本である。あらゆるものを取り入れて自分のものにする、その根本の働きである。

・人間として当然やるべき日常生活をちゃんとする。

・「経営者というものは、絶えず危機感をもつことや」

・論語は、昔から別名を「円珠経」という。円い珠というのは、どこからでも映し出される。即ち人生万般の鏡となるような、そういう言葉が盛られた書物。

・六十にもなると、人生の体験を積んで、甘いも酸いも経験をして、なんともいえん人間の風味が出てくる。若い時にはない、本当のその人の味というのができるのは、六十頃です。

・十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従って矩をこえず。

・孟子は「富国有徳」を説いた。

・二宮尊徳は「譲」のことを、「推譲」といって、行いの根本にしている。

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『己を修め人を治める道~「大学」を味読する』伊與田覺(2008)

・(顔回に先立たれた後)曾子が天によって育てられていた。
・72歳の孔子、26歳の曾子。孔子は、曾子に、自らの真骨頂を伝授。

・曾子は『大学』『孝経』等の名著を残し、斯道の継承者と仰がれるようになった。

・自分の意見が出てきてこそ初めてその書を読んだということができる。
・『大学』を読んで「自分はこうだ」というものが腹にグッと収まった時『大学』というものを、本当に自分のものにしたということ。

・徳性を育てていく学問を「本学」と呼び、知能・技能を育てていく学問を「末学」と呼ぶ。
・本になる学問は「人間学」と呼び、知識や技術を身につける学問を「時務学」という。
・昔は、学問といったら人間学のことをいった。そして知識、技術を学ぶ時務学のほうは「芸」といった。
・学と芸の両者を修めることによって、人の指導者にもなれる。

・焼野原と化した国土復興。経済復興をする上において一番手近なものは、それに必要な知識、技術を身につけるということ。だから、本学である修身科を廃して、末学のほうに重点が置かれた。

・他に良い影響を及ぼすような、そういう優れた人物を「大人(たいじん)」という。
・(大人になるための)「修己治人(しゅうこちじん)」の学を、「大学」という。

・「中学」は「調和の学」「創造の学」

・大工の棟梁は、自分の腕を光らせてはいけない。

・世界の三大聖人:釈迦は慈悲、孔子は仁、キリストは愛。三人とも、天から直接学んだ。

・年をとってから若い人に慕われるということは、その人が絶えず進歩しながら立派な品格になっていっている証拠。
・年をとればとるほど、自らを磨いていく努力をすることが大切。

・曾子の『大学』を読むことによって、孔子の心を知ることができる。一番入りやすい孔子の入門の書でもあるし、また同時に結論の書であるといってもよい。

・玄人と素人の違い。こつを会得しているかどうか。

・中国には大きな二つの流れがある。
 1)玄徳を養うほうに重点をおいた「老子の教え」 2)明徳を養うほうに重点をおいた「孔子の教え」

・二宮尊徳は「大学」の精神を、自らの身をもって体現している。

・母は、大地、地球につながり、父は、太陽につながる。

・人間は、いい時は放っておいてもいい。大切なのは、悪くなった時にどういう心構えで貫いていくか。

・「正しい」とは、道理(天のルール)や道義(人のルール)にかなっていることをいう。

・「大学の三綱領」 明徳を明らかにし、民に親しみ、至善に止まる 

・「先知後行(せんちこうこう)」 先に知って、後に行う。(朱子)
・「知行合一(ちこうごういつ)」 行わなければ、本当に知ったとは言えない(王陽明)

○朱子の考え方は「転移」に近い。王陽明の考え方を、企業研修にあてはめるなら・・・

・「知を極めるためには、自分自身を正すこと」

・八条目は、「思惟の過程」と「実践の過程」を説いている。
・格物→到知→誠意→正心→修身→斉家→治国→平天下
・実践の過程では、まず自己自身を正す(格物)ことが大切。

・格物致知が、治国平天下の一番の根本になる。

・三綱領と八条目をわきまえれば、『大学』の大体をわきまえたと言える。

・修身科がないことを憂えた明治天皇が、明治23年に「教育勅語」を出された。
・「大学」の精神が、教育勅語の中に表れている。

・日本が中国から取り入れなかったものに、宦官制度、科挙、革命思想がある。

・『詩経』は、孔子が晩年に編纂して、305にまとめた。

・我々が古典を学ぶというのは、この「経」縦糸をしっかりとさせることでもある。

・(大学は)解説にあたって、当時としては最も固定された書物、万人が認める古典であった『詩経』『書経』『易経』『春秋』『礼記』という五経を用いた。

・『大学』の一節がいわんとするような人物が現実の中に生きておった。それが安岡先生。

・知とは、物事を正しく判断すること。
・「忠」の本来の意味は「自分が自分を欺かない」
・「信」というものは、他人に対するもの。
・自己に対しては「忠」、人に対しては「信」、これはどちらも「誠」ということ。

・「大学」で非常に重要なことが「慎独」。立派な人間になる、その一番基本になるものが慎独。

・発表内容が空虚になる。獄屋につながれて充電をして、また出てから活動を再開する。

・「徳は身を潤す」 どことなしに、体や動作がゆったりと豊かになってくる。

・王陽明は、50になった時に「到良知(ちりょうち)」という言葉が、ぽっと浮かんできたという。

・国全体が良くなるためには、お互いに譲り合わないといけないと強調したのが、米沢藩の上杉鷹山。
・二宮尊徳は、譲ることを「推譲」といった。おそらく「大学」の「一家譲なれば、一国譲に興り」に大きなヒントを得ているのではないか。

・「徳は本なり、財は末なり」この考え方は「大学」のみならず、東洋思想の根源をなすもの。

・財は、貝に「才」がついている。この「才」というのは「働き」という意味。
・才能ある人を、人材、人財という。「やり手」
・単なる才能ある人を人物とは言わない。人物の裏には、必ず徳がある。

・「一隅を照らす」ということは、小なりといえども自ら光る人間になるということ。

・人間には「徳」と「才」の両方が大切。
・才よりも徳の優れた人を「君子」といい、徳よりも才のほうが優れている人を「小人」という。
・自分より他人を大切にする人を「君子」といい、自分を中心に動く人を「小人」という。

・徳も才も両方ともに優れていながら、なお徳のほうが才よりも優れている人は「大人」「人物」「賢」という。
・同じく徳も才も優れているが、才のほうが徳よりもなお優れている人を「人才(人材)」という。
・逆に徳も才も少ないけれど、徳のほうがちょっと優れている人を「賢」に対して「愚」という。

○この本を読んでから、伊與田先生の直筆「大学」の素読をすると、また味わいが違ってくる。

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『論語物語』下村湖人(1981)

○「論語」の言葉が、どういう状況で出てきたのか、ありありとイメージできる! 孔子も苦労して、弟子に向き合っていたんだな~と、「人間孔子」を実感できる。「論語」を読むなら、一番最初に読んでほしい本かも。

・「論語物語」は、文章は平明だが、深い思想がある。

・著者はただ「心」を描けばよかったのである。

・何よりも自分を忘れる工夫をすることじゃ。

・自分が依然として自分というものにとらわれていることに気づいた。

・まだ試してもいない自分の力を否定するほどの悪はない。

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『子供が喜ぶ論語』瀬戸謙介(2010)

○2010年、長女が小2ぐらいの時に、読み聞かせしていた本。先日「なんか覚えてるよ。志士仁人は~」と、論語の一節を口に出してくれた。やっぱり残るものなんだ!ということで、今度は、次男(小2)を始め、他の子供たちにも聞こえるよう、素読を始めました。

・悩まない人には、何を教えても無駄。

・孔子は、命を懸けてでも自分の立てた志を貫こうとする、激しくかつ肝の据わった人間の育成を目指している。

・行動を見て、どういう目的でそういう行動をとっているのかを観て、その行動の結果として最終的に求めているものは何かを考える。

・本当の仁者は、善人に対しては最善を尽くすけれど、悪人に対しては徹底的に戦う。

・君たちが勉強をしているのは、君子になるためだということを忘れないでください。それ以外の目的は一つもありません。君子というのは、世の中の為、人のために役立つ人間のことを言います。

・言行一致が、信頼の大本になる。

・信用の無い人には誰も協力してくれないでしょう。だから、自分の夢を実現させたかったら、まず自分が信用を得られる人間になることなのです。

・努力しない人を友達にしてはいけない。

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『社長の論語』井原隆一(2001)

○日本経営合理化協会さんで買ったカセットテープ。車にカセットデッキがついてた時に、良く聞いてました(ランチェスター経営 竹田先生のテープと共に)

・論語のおかげで、私の生涯で、私なりの満足を得、感謝していることがある。それは、私があるメーカーの再建に協力することになったが、それに対する知識を持っていなければ、体験もない。迷い、悩んでいるとき、思い当たったのが論語である。「近き者説べば、遠き者来らん」の一句であった。

・後によく「どのようにして会社を優良会社と云われるほどにしたのか」と聞かれたが、私の答えは、社員を悦ばせただけです、というだけだった。

○「近き者説べば、遠き者来らん」 井原先生のおかげで、この言葉は、弊社経営の基盤になっています。

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『こども論語塾』安岡定子(2008)

○小6への読み聞かせで活用。

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『人間的魅力の研究』伊藤肇(1980、2000)

○安岡先生が、可愛がっていた伊藤肇さんの本(55歳で逝去)

・作家の丸谷才一は、二宮尊徳をひょんなことから大嫌いになったという。
 「自分を偉そうに見せかけたいときに使う安易な手」を使ったと。

・知恵だけで生きてゆくと、人間は「傲慢」になる。
・マルクス・アウレリウスの「自省録」は参考になる。

・「よく生きた者が、よく死ぬことができる」画家 中川一政

・ニーチェは「健康であるということは、おのれの存在に気づかぬことである」と言っている。
 自分の体があるということに気づかぬのが、一番健康。

・いるのかいないのか分からないが、その人がいればそれだけで皆が安らぐ、問題が起きない。それこそが「至れる人」

・福沢諭吉には、ピント外れのところが沢山あった。

・「随聞記」は、声にだして読まねば読む意味がない。

・「完全な健康体だ」という自惚れは、人間を傲慢にする。

・「長い歴史に耐えて残っている古典を見直すほうが、ずぅっとタメになるし、第一ハズレがないよ」
・「僕は、50から本当に論語を読み始め、80を越して、ようやく孔子とじっくり膝をまじえて話し合った」石坂泰三 元経団連会長

・「若くしては老人と交わり、老いては青年と交われ」ことわざ

・「カタライザーの寒天は、それ自体は味をもっていない。ところが、カタライザーが加わることによって、砂糖と小豆の本来の味が上手く発揮され、羊羹ができる」鮎川義介 日産コンツェルン
・「十八史略」には、4517人が出てくる。

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投稿者:関根雅泰

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