【木曜日22-15】「比企学」安岡正篤先生(1)

古典に学ぶ

【木曜日22-15】「比企学」安岡正篤先生(1)

○埼玉県比企郡嵐山町に、日本農士学校を設立された安岡正篤先生の本。

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『活眼活学』(1985、2009)

・従来のような排他的ナショナリズムではなくて、リファインド・ナショナリズム、洗練されたナショナリティを通じなければ、真のインターナショナル、真のコスモポリタンにはなれない。

・辞令とは、本当は「言葉の使い方」を言う。人物の「応対辞令」。

・足の指は、それぞれ内臓と密接に関連しており、殆どの病気は、足の指を見れば分かると言われている。

・保守とは「保業守成」即ち業を保ち、成を守るという意味の言葉で、「創業垂統」を承けるもの。
・これは『孟子』にあり、一世が業を創め、統を垂れる。即ち、立派な第一代が、苦心して仕事を始め、その仕事を後々まで継承されるように伝える、これを創業垂統と言う。
・この先代の創業垂統を継いで、その業を保ち、先代の成功をよく守り栄えていく。これが、保業守成で、保守の意である。

・物の考え方には、三つの原理がある。
 1)長い目で見る 2)多面的、全面的に見る 3)根本的に見る

・「自分」というのは、大変好い言葉。あるものが独自に存在すると同時に、また全体の部分として存在する。その円満無碍な一致を表現して、自と分を合わせて「自分」という。

・「教える」の真義は、頭の中に記憶したり、紙の上に書きつけたものを伝達する事ではない。活きた人格と人格との接触・触発を言う。
・全生命を打ち込んで学問する、身体で学問すると、人間が学問、叡智そのものになってくる。

・哲人政治というものが、新たな世界の最大の政治的課題であると信ずる。

・師を同じうするを朋といい、志を同じうするを友という。

・人間もなるべく晩成が良い。まあ死ぬ頃なんとか物になるというくらいの覚悟でぼつぼつやると良い。

・乱世ほど余裕が大切。
・自分が自分を客観する。それは一つの解脱であり、それが芸術となる。それを風雅と言う。それは言い換えれば、余裕だ。

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『王陽明~知識偏重を拒絶した人生と学問』(1997、2017)

・縁尋(えんじん)、縁が尋ねるというもので、自分が真剣にやっておれば、必ず求めるものは見つかるものである。

・子供のときから、わかってもわからんでもいい、聞かしておくということは、大変意義がある。
・子供のときに、真理を聞かせておく、道を聞かせておく。

・肝腎要(かんじんかなめ)肝臓と腎臓と腰。
・足を地につけ、腰をしっかりと据えること。

・「平常心是れ道」である。
・尋常、常を尋ねる工夫、これに徹する。尋常の覚悟、これが一番の本質、本義なのである。

・陽明先生は「古の学者は己を修む」という論語の真実に徹してきたものということができる。
・本当の自分を作るということの反映が、環境、社会の建設にならなければならぬ。

・「人処藹然(じんしょあいぜん)」人に対して、いかにもその人が活き活きといい気持ちを感ぜしめられるような雰囲気。その人に接すると、いい気持ちにさせられる人と、粛然として、ひきしまるような感じをさせられる人とか、色々ある。

・「得意澹然(とくいたんぜん)」得意の時には、あっさりしていること。

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『論語に学ぶ』(1972、1982、2017)

・本当の学問とは、それを読んで、自分は聞き誤っていなかったか、見誤っていなかったか、という風に、直ちに自分の問題にしてゆくのである。

・教育とは、何ぞやと言えば、つまるところは、先輩、後輩と、長者、少者の連続、連結の役目をなすものでなければならない。
・孝という字は、親子、老少、先輩、後輩の連続・統一を表す文字である。

・どれもみな活学の材料ならざるはない。

・教育とは、教師が生徒のお手本になって、生徒を実践に導いてゆくことである。

・どうやって見識や信念を養うかというと、やはり学ぶ外はない。
・何に学ぶかという言えば、結局、歴史。
・四書「大学」「中庸」「論語」「孟子」を読むだけで結構。

・釈迦、孔子、ソクラテスを世界の「三大聖人」と言う。彼らが、紀元前5,6世紀のころに相前後して、世に出たということは、すこぶる印象的。

・「君子、多能を恥ず」

・ゆったりと、焦らず、さわがずに、自己を練って、次第に円熟にもっていったところに、孔子のまた偉い所がある。

・孔子は、最も偉大な人間通である。

・晏子(あんし)と景公
・「なるほど、いかにもしわくちゃでみっともない女房には違いありませんが、それも私に連れ添うて苦労したためにああなりましたので」といって、妾を断った。

・「倦むこと無かれ」途中で嫌になってはいかんぞ。

・とにかく悪は非常に攻撃的であり、刺激的である。
・悪人は団結力をもっている。

・人間万事「省」の一字に尽きる。「省」は、かえりみると同時に、はぶくと読む。

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『日本はどうなるか、どうするか』(1983)

・社会主義者、共産主義者等の過激な革命思想をもった人々が、GHQの中に割り込み、日本を実験台にして、いろいろとやった。

・教育勅語の廃止だけでなく、日本の修身教育、歴史教育、地理教育を廃止させる。そしてこれを円滑に進め、その抵抗を少なくするために、国民の破棄を奪う、覇気や活力のはけ口として、スポーツを奨励する。

・徳性、属性、習性の3つから、人間は成り立っているといってもよい。

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●参考:

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投稿者:関根雅泰

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