【木曜日25-42】千葉雅也先生の本

木曜日

【木曜日25-42】千葉雅也先生の本

○読書会議の課題本(1冊+2冊)

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『現代思想入門』 (2022)

○Kazuma企画の読書会議の課題本として、金井さんが選んだ本。「人生が変わる哲学」というキャッチコピーに惹かれたそう。

・現代思想を学ぶと、複雑なことを、単純化しないで考えられるようになる。

・「構造主義」は、パターンで考えられるという見方を示した。
○積読になってた「構造主義」の本も読んでみよう!

・現代思想とは、「差異」の哲学である。
・一定の状態は、絶対ではなく、仮のもの。
○合理化協会さんの「月刊講話経営塾」(25年8月号)のCDで、松波龍源氏の「社長が持つべき仏教思考」を聞いた。その中に、これに近い考え方があったと思う。また聞き直してみよう。

・デリダによれば、あらゆる二項対立は、話し言葉(パロール)と、書かれたもの(エクリチュール)の対立。

・ドゥールズは、管理社会について予言。
・ネットによって皆が発言権を持てたが、それは管理社会の到来でもあった。

・プロセスは、常に途中であって、決定的な始まりも終わりも無い。
○これも仏教的だよな~。

・「いろんことをやっている内にどうにかなるよ」 ドゥールズ+ガタリの思想は、楽観的で、人を行動へと後押ししてくれる。
○Planned happenstanceにもつながるのかも。

・関わりばかりを言いすぎると、それによって監視や支配に転化してしまうという危険性がある。
 それに対するバランスとして、「関わりすぎない」ということも言う必要がある。

・価値観の争いからデタッチ=遊離して、だけれども互いに対する気遣いを持ち、その気遣いが他者の管理にならないようにする、という非常に難しい按配を維持できるかどうか。
○比企起業大学は、そういう関係性でありたい。

・近代社会のポイントは、支配者が不可視化されるということ。
・フーコーは「権力は下から来る」と言い、弱い者がむしろ支配されることを無意識的に望んでしまうメカニズムを分析。
○「お上」に考えることを任せちゃうのも、こういうことなのかもな~。

・「ヤバいものこそクリエイティブだ」という20世紀的感覚を遡ると、ニーチェ、フロイト、マルクスの3人になる。

・ショーペンハウアーは、ヨーロッパで初の本格的に仏教思想を念頭に置いた哲学者であった。

・わけもわからず、要素がただ野放図に四方八方につながりうる世界が、下に(無意識)存在している。
○夢は、まさにそんな感じ。

・精神分析は、人間を「過剰な動物」と定義する。
・教育とは、まず制限。去勢によって、秩序が組み立てられていく。
・言語習得とは、ある意味、世界を貧しくすること。

・読書は、すべて不完全。『読んでない本について堂々と語る方法』
○これ、読んでみよう!

・『現代思想を読む事典』(1988)は、今こそ読まれるべき1冊。
○これも、アマゾンでぽちった。新書サイズだけど、分厚さが凄い。読むのに気合がいりそう。

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『勉強の哲学』(2020)

・情報が多すぎることで、考える余裕を奪われている。立ち止まって考えることが難しい。

・勉強の目的とは、これまでとは違うバカになること。
・勉強とは獲得ではない。喪失すること。
○Acquisition ではなく、Participationにも近いのかも(別のノリへの参加)

・勉強とは、自己破壊。わざと「ノリが悪い人」になること。
・ラディカルラーニング 深い勉強。

・環境(他者)が、私達の可能性を制約している。
・無限の可能性のなかでは、何もできない。行為には、有限性が必要。

・環境が変われば、コードが変わるので、ノリが変わる。
・言語を通して、私達は、他者に乗っ取られている。

・勉強とは、別のノリへの引っ越しである。
・二つのノリの間で、居心地の悪さ、自分が引き裂かれるような状態、板挟みになる。
○これは、大学院に行ってた時、感じてたな~。

・慣れない言葉づかいの「わざわざ言ってる感」

・言語の物質性。それ自体はただの音。
○耳が聞こえない人にとって、言語は、文字?書かれた物?

・可能性をとりあえずの形にする。言語はそのためにある。
○「地域がこうなったらいいな」という可能性を、とりあえずの形にするために、言語化する。それが「比企ら辺まるごとキャンパス化計画」なのかも。

・深く勉強するとは、言語偏重の人になること。
○「頭でっかち」と言われる状態にもなっちゃうかも。

・環境のノリから自由になるために、勉強を深める。勉強によって自由になるとは、キモイ人になること。
○こう言ってもらえて、救われる学生さんは多いだろうな~。

・勉強を深めると、アイロニー(ツッコミ)と、ユーモア(ボケ)が強まる。

・古来、メタに根拠づけの問いを発することこそが、知性の証だとされてきた。
・哲学とは、根本的にツッコミの技術。

・アイロニーは、根拠を疑うこと。ユーモアは、見方を変えること。

・わざと問題を立てることが、勉強。スッキリしない不快な状態をあえて楽しもう、それこそを享楽しようとすること。
・自分の現状や興味を、大きなスケールの抽象的な問題につなぐのが、勉強の「深い」テーマ設定。
○修論を書く前に、この本を読んでいれば、もっとスムーズだったのかも。

・絶対的な根拠を求めない。ある程度でよしとするのが、勉強の有限化。

・信頼に値する他者は、粘り強く比較を続けている人。勉強を続けている人。

・「まとも」な本を読むことが、勉強の基本。最初に読むべきは、入門書。
・複数の入門書→教科書→基本書

・読書において本質的なのは、本の位置づけを把握すること。
○これができるためには、そうとうの本(過去から現在に至る)を読んでないと。

・授業を聞くときのポイントは、教師が「いかに工夫して少なく教えているか」に敏感になること。
・教師とは、有限化、あるいは切断の装置。
○これは確かにそうかも! 教える立場に立つと「何を伝えないか、いかに絞るか」を考える。

・性急さに対し、立ち止まって考えようとするのが、学問的な態度。
・学問は、実利を目的とする人が、まだ見ぬアイデアを求めるにふさわしい場所。
・自分の実感にひきつけないで読む。「テクスト内在的」に読む。

・勉強を続けるというのは、出典を明記した読書ノートをつけ続けること。

・日々「一応はここまでやった」を積み重ねる。どんな段階にあっても「それなりに勉強した」完璧は無い。

●解説:佐藤優氏

・人間は「勉強する動物」である。
・知識人とは、言語偏重の世界で生きる人たち。
・仕事にのめり込んでしまい、燃え尽きてしまうことを避けるためにも、アイロニーとユーモアを体得することが重要。

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『動きすぎてはいけない』(2017)

○千葉先生の博論を基にした書籍。手ごわい・・・。「自分の実感にひきつけないで読む」の良い練習台にしてみよう。

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投稿者:関根雅泰

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