○現代思想本を読む中で、良く引用されていたH.アーレントに関する本(2冊)
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『今こそアーレントを読み直す』仲正昌樹(2009)
・「もどかしさ」こそが、アーレントの魅力。
・「ひねくれ方」が面白い思想家。
・政治と人間の本質は、「善」をめぐる果てしなく続く「討議」である。
・ローマ帝国は、開かれた法=権利体系としての帝国
・国民国家は、同一性の原理に基づく閉じられた帝国
・国内における自由のための闘争という緊張感がないため、政治を人任せにしてもよいう受動的な態度の人たちも増えてくる。
○これは俺もそうだよな~。政治は人任せ、自分は自分にできること、すべきことをやってる感はある。
・各人が自分なりの世界観を持ってしまうのは不可避であることを自覚した上で、それが「現実」に対する唯一の説明ではないことを認めること。
・「フマニタス humanitas」=人間らしさ
・自由7科:文法、論理学、修辞学、算術、幾何学、天文学、音楽(物理学)=基本科目(教養)
神学、法学、医学等=専門科目
・古代の知=教養を知ることを通して、「人間らしさ」を身につけ、自らの「人格」を研く=陶冶することを目指した。
○この辺が「形式陶冶」「実質陶冶」につながってくんだろうな~。
・「複数性」を喪失した人間は、他者との間で、本当の意味での対話をすることができなくなる。
・「複数性」の発生する余地をなくし、余計なことを考えさせないようにする。
・政治とは「ポリス」全体にとって何が善いことであるか(=共通善)について討論(活動)し合う営みである。
・活動に従事することで「複数性」の余地が広がり、市民たちは「人間らしさ」を身に付けるのである。
○かといって、俺が政治的な討論に参加するのはちょっとな~。他に「複数性」の余地を広げ、人間らしさを身に付ける方法はないのか?
・複数の視点から物を見ることを可能にする討論を行うことが「活動」力を高める上で肝要。
○もしかすると、皆で行っている「読書会議」は、その一助になるかも。1冊の本に対して複数の視点から、意見をもらえている状態。
・アーレントは、全体主義に通じる恐れのある「思考の均質化」だけは何とか防ぐというミニマルな目標を追求した控えめな政治哲学者ではないか。
・心底から善人であるかどうかではなく「良き市民」という役割を、公衆の面前で演じ切れているかどうかが問題。
・本音は「心の闇」の中に収めておくべきもの。
・自分の「正体」を「公衆」の面前に晒すということは、自らの発言に対して責任を持つということである。
・「傍観者」ではダメなのか?
○まさに今の俺の問い。
・表舞台からいったん引き下がって「観客」の立場で、舞台上の「活動=演技」を判定する人も「政治」を成立させる上で必要。
・直接的に表舞台に加わらない「観客」が存在し、様々な視点から問題を注視していることによって「政治」に「複数性」がもたらされるのである。
○こう言ってもらえると救われる。複数性が「複数の党派」にならないよう、一人の人間の中に「複数性」があって、その視点で「政治」を見ることが大事なのかも。まだまだ考え続けよう。
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『人間の条件』H.アレント(著)牧野雅彦(役)(2023)
・言論Speechこそが、人間を政治的存在たらしめるもの。
・「われわれが行っているのは、いったい何なのか」これがこの本の中心テーマ。
・労働、仕事、行為という3つの活動。人間諸活動の序列がどのように変遷してきたか。
・労働Labor、仕事Work、行為Action
・この地球上に生き、世界に住んでいるのは複数の人間であって、単一の人間という抽象的な存在ではないという事実。
○仏教思考の「網の目」に近い発想かも。
・ソクラテス学派による「観照Theoria」の発見。
・人間の最高の能力は、ロゴスLogosつまり言論や理性ではなく、ヌースnous、観照の能力。
・人間を特徴づけるものは死である。
・個人の生きる人生は、生物学的な循環運動を、いわば直線で横断する。
・政治的な行為のほとんどが、暴力の圏外にあるかぎり、言葉を通じて行われる。
・適切な瞬間に、適切な言葉を見つける。
○これが難しいんだよな~。
・自由とは、生活の必要にも他人の命令にも服さないと同時に、自分も命令する立場に立たないということである。
・自由であるということは、支配する者も支配される者もいない領域に入ることを意味する。
・われわれが来る前から世界はあったし、短い滞在のあとに去っても残り続けるだろう。
・私生活(Privacy)がはく奪(Deprived)されている生活だというのは、そこに他者が存在しないからである。
・第3章「労働」では、K.マルクスが、批判の対象となる。
○この本読み終えたら、資本論2部3部を読み始めよう。
・古代の奴隷制は、人間生活の条件から、労働を排除しようとする試み。
・「労働力」という概念の導入こそ、マルクスの思想体系の最も独創的で革命的な要素をなしているのである。
・マルクスは、自然主義を一貫して追求した結果、「剰余」を生み出す自然自身の力の人間固有の様式として、「労働力」を発見した。
・マルクスは「人間は労働を通じて形成される」と考えていた。
・マルクスは「社会化された人間」という用語を、社会主義の目標を示すために用いている。
・絵画は、自由人の学芸 liberal arts、彫刻は、奴隷の技法 servile arts。
・賃金こそが、奴隷の徴なのである。
・労働こそすべての財産の源泉である。
・偉大な思想家こそが、矛盾を正面から引き受けて、自分の著作の中心に据えるのである。
○「矛盾を矛盾のまま矛盾なく」引き受けて、本を書く。それができたら凄いよな~。
・生産的な奴隷となるか、非生産的な自由となるか。
・財産とは、「共通のものから囲い込んだもの」
・道具による労働の軽減には、根本的な限界がある。
○AIを道具として捉えたら、労働の軽減には期待するほどの効果が得られない?AIをエージェントとして、労働力を持つ「代行者」として捉えたらどうか。
・産業革命は、全ての仕事を労働に置き換えてしまった。
・余暇Leisureは、閑暇Skholeと同じものではない。
・「工作人」の仕事である制作の本質は「物化 reifiation」にある。
・「工作人」は、常に自然の破壊者だった。
・「工作人」の世界では、あらゆるものは何かの役に立たなければならない。
○今の俺も「役に立つかどうか」という功利主義的な目線は強いよな~。何故そうなったんだろう。仕事(制作)をしているから?
・芸術作品の場合、物化は、単なる変形Transformation以上のものである。真の意味での変身、変容Transfigurationである。
・詩の耐久性は、凝縮によって生まれる。
○俳句もそうなんだろうな~。
・耐久性、つまり人類の記憶に永遠に残るかどうか。
・詩は、最も思考に近く、物としての性質が希薄である。
・労働歌 Labor songs はあるが、仕事歌 Work songs というものは存在しない。
・人間は、労働しなくても、よく生きることはできる。
・人間が人間として最初に行う行為それ自体が、すべての新来者に対する「お前は何者か」という問いへの応答を含んでいる。
・行為ほど、言論を必要とする人間の活動は他にない。
・人間関係の「網の目」
○お~。まさに仏教思考の「網の目」がここでも出てきた。個人が「網の目」、社会が「網」。
・行為は孤立したままでは不可能である。
・行為と言論も、他の人間の行為と言論の「網の目」に取り囲まれていることを必要とする。
・彼が誰であるかは、彼の生涯が終わって、物語しか残さなくなったときにはじめて現れるのである。
・権力を生み出すために必要不可欠な物質的条件は、人々が共に生きることだけである。
・働きWorkとは、よく生きることeu zen だと、アリストテレスは定義した。
・複数性を除去しようとする試みは、常に公的領域そのものの廃止に等しい。
・哲人王が、暴君にならないという保証もなり。
・はじめること(アルケイン)と行為すること(プラッテイン)は別の活動となり、事を始めた者は、支配者(Archon)となる。
・「許し」と「約束」という人間のもつ2つの能力。
・許しにより、過ちの結果から解放される。
・約束が世界を安定化する。
・3つの大きな出来事が、近代という時代の性格を決定づけた
1)アメリカ大陸の発見
2)宗教改革
3)望遠鏡の発明
・思考は、真理を眺める観照の境地に至るための一番手近で重要な方法だった。
・対話は、魂を鍛える方法だと考えていた。
・思考が行為に従属する侍女となった。
・「タウマゼインThaumazein 驚き」こそが、哲学の始まり。
・言葉にできないこの状態、本質的に無言で行われる観照の状態が、哲学の目的。
・幸福=快楽-苦痛
・「何もせずにいる時こそ、人はより活動的であり、自分自身と共にある時ほど、人が孤独でない時はない」
・組織は、常に一つの政治的な制度である。
・「われ思う、ゆえにわれあり」は誤謬がある。「われ思う、ゆえに思考は存在する」と読まれなければならない。
○研修評価について語る俺には「哲学」が必要なんだろうな~。世界をどういうものと捉え、どう付き合おうと考えているのか。もっと勉強し、考え続けよう。
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●参考:
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