○『現代思想を読む事典』編者の今村先生の本から「仕事」関連本(3冊)
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『仕事』 今村仁司(1988、2024)
・仕事と労働とは峻別されなければならない。
・未開社会(マエンゲ族)の仕事の出来栄えの評価基準は、美的成功および将来への配慮である。
○インディアンが「7世代先を考える」みたいな感じかな。
・「美と深慮」は、日常的に絶えず共同体のメンバーによって審査される。
○そうすると、確かに、日々己を律する態度になるだろうな~。
・「学習」は、「魚とり」と同様に、つまらない行為とみなされている。
・商業取引である貨幣の獲得は、ビッグマンにのみ許される行為。
・商業が、共同体に流入することを防いでいる。
・富への際限の無い情熱を、シャットアウトしている。
○共同体を長く維持するための知恵の一つなんだろうな~。
・ゼウスを欺くとは、人間の生命・生活にとって不可欠の行為。
・農業労働を、より高い存在、神々との交流の儀礼的実践。
・アリストテレスは、貨殖術(商業)を「自然に反するもの」として激しく告発した。
・ソフィストは、貨幣と引き換えに、知識を売った最初の知識人である。
○研修講師やコンサルは、ソフィストの末裔なのかも。
・真の活動(プラークシス)とは「何も作らないこと」、非生産的活動である。最たるものは政治活動。
・多忙とは一つの倫理的悪である。余暇(スコレー)こそ自由人の本性にふさわしい。
・プラトンの理想的共和国には、商業が存在しない。
・多忙(Business)は、人間の本性に反するもの。
・商業は、すべて共同体外の異人の仕事。
・貨幣や商業が、共同体内に侵入することが阻止されている。
○ここでも、商業が入らないようにしている。
・労働と奴隷状態とは緊密に結びついている。
・耕作労働の両義性(正極に、楽園の労働、負極に、懲罰の労働)
・血の禁忌による労働蔑視。肉屋、外科医、床屋。
・イスラム圏では、基幹産業が商業。
・商人は、時間を売る。
・商人は、知的操作による情報獲得から、利潤・利子を得る。
・14世紀以降、時間は貨幣的性格をはっきりと帯びる。
・かつて、怠惰は高貴な価値であったが、今や怠惰は罪悪となる。
○まさに、このあたりは、今の感覚に近い。「時は金なり」の考えにおかされている。
・宗教(プロテスタンティズム)は、必然的に勤労(Industry)と節約(Frugality)を生むほかなく、この2つは富をもたらすほかない。しかし、富が増すとともに、高慢、激情、そしてあらゆる形での現世への愛着も増してくる。
○敬虔であればあるほど、神から離れていくということなのかな。いかに「とらわれないか」。
・サン=シモンにとって、科学者と技術者こそが社会の主人公にして指導者なのである。
・サン=シモンの「企業家(Entrepreneur)」は、技術革新を行う企業家であって、単なる資本所有者的経営者ではない。
・近代以前の人々は、労働が卑しいことは、当然のことと考え続けてきた。
・労働嫌悪の理由は、労働による人間的自由の喪失にあった。
・世界に関係する人間的活動は、3つの型に区分される
1)労働(Labour)2)仕事(Work) 3)行為(Action)
・耐久性をもたないものを作る活動、これが労働である。
・耐久的事物をつくる、道具制作的活動は、仕事。
・人と人との公共的関係を運営する活動が、行為。
○ハンナ・アレントの本「人間の条件」 読んでみよう!
・質的に区別されるべき諸活動を、労働に一元化することが、人間活動の合理化を促進することは確か。
・近代労働観は、万人を労働へと強制する強力なイデオロギーになり、労働社会の実現を加速的に促進した。
・すべての人間が奴隷になる。市場はじめての全般的奴隷制が成立した。
○こう言われると恐ろしいよな~。確かに、会社勤めをしていた時は、奴隷感覚はあったよな~。そこでの労働から抜けだし、仕事をする一つの道筋が、「ミニ起業」なのかも。人を雇用しないことで、新たな奴隷を生み出さない。
・「労働はすばらしい」「労働は人間を鍛え直す」「労働の尊厳」というイデオロギーの根は、懲罰的であり規律訓練的である。
・現代の社会思想の根本問題のひとつは、労働が根本的に奴隷的であることを直視し、それを美化する労働表象をできる限り解体することである。
・(マルクスは、共産主義に至る)過渡期としての社会主義が、奴隷労働的であることに気付いていた。
・マルクスは、社会主義的労働体制(煉獄)を、ユートピア的目標(天国)のための浄化手段とみなし、それを利用するという、いわばダンテ的想像力を発揮した。
参考:ダンテの「神曲」
・20世紀後半以降は、高度の生産力を背景にして「労働からの解放」が急務となる。
○AIを上手くいかせれば、これが達成できるのかも。
・労働は、他の何ものかと結合されなければ、自由な活動への転換はありえない。この性質的転換のための蝶番となるのが、遊戯性である。
・美学は、労働と結合した遊戯性である。遊戯性と結合した労働を、「仕事」と呼ぶ。
○ジョブクラフティングとかはどうなんだろう。労働を仕事にできるのか?
○「雇われからの解放」としてのミニ起業においては、「顧客づくり、商品づくり、現金のこし」を、自ら考えながら、挑戦し、未来をつくっていける。そこに遊戯性を見いだせるなら、まさに「仕事」になっているのかも。
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『だれのための仕事 ~労働vs余暇を超えて』 鷲田清一(1996、2011)
○『仕事』の解説をされている鷲田先生の本。今村先生と親しかったそう。
・手帳の不安、それはスケジュール表の空白である。
○独立した当初、スケジュール表が真っ白だったときは、不安だったな~。お金につながる活動を全くできてなかった怖さ。
・予定がいっぱいでふさがっていること、つまり「多忙 Busyness」が仕事や商売、事業という意味でのビジネスBusinessの一つの本質である。
・何か実のあること、価値生産的な活動で充填しなければという強迫的な意識。
・たえず何かをしていないと不安になるというビョーキ。
○これ、俺あるし、昔はもっとあったな~。よく奥さんに言われてた。今は少し余裕がでてきたかな、と思いたい。
・インダストリアス(勤労、勤勉)
・工場労働における「奴隷の感情」
○ミニ起業家も、「商品づくり」だけだと、自己満足になる。「顧客づくり」「現金のこし」が必要なことで、自己満足の労働ではなく、他者目線(あたたかさ)や金銭勘定(したたかさ)といった「遊戯性?」も加わり、「仕事」になっていくのかも。
・フーコーの視点からすれば、「自律(オートノミー)」は、権力の側からのより深い服従強制に呼応する心的規制である。自律とは、個人が自己自身を監視し、検閲し、制御し、管理しうるような心的体制のこと。
・Subject主体は、服従させるという行為をも意味する言葉である。
・ひとはたがいに模倣しあいながら欲望を形成するのである。
○これ、今のSNS時代だと益々加速しちゃうよな~。
・「遊び」という間を欠いた仕事Workが、労働Labor、つまり労苦としての近代的労働なのではないか。
・有用性Utility と 有意味性Meaningfulness
・ある目的のために(in order to) と それ自体意味のある理由のために(for the sake of)
・人間の文明は、その身体能力を外部に出すという形で進化してきた(例:自動車)
・脳は記憶したり計算したりする仕事を免除されることで、別に何か新しい創造的機能を発揮しだすのではないか。
○AIで何か起こせるかも。
・主婦、子ども、老人たちは、労働の現場から除外されている分、もっぱら消費の担い手として登場。
・自分がこんなに動けるのは、実は自分のことを考えて、積極的にじっとしている人がそばにいるからだ、と深く思い知ることがある。
・誰かが私を気づかい、私を遠目に見守っている。
○比企大が、そういう存在になれたらいいな~。
・ホモ・ヴィアトール(行人)途上にある
・ひととしての「限界」に向き合い、それと格闘すること、そこに仕事の意味がある。
○ミニ起業家で言えば、「絞り込む」発想。
・保護膜としてのコミュニティーを再構築。
・希望には、編み直すという途もある。
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『AI時代の労働の哲学』 稲葉振一郎(2019)
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