【木曜日25-47】仕事本

木曜日

○『現代思想を読む事典』編者の今村先生の本から「仕事」関連本(3冊)

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『仕事』 今村仁司(1988、2024)

・仕事と労働とは峻別されなければならない。

・未開社会(マエンゲ族)の仕事の出来栄えの評価基準は、美的成功および将来への配慮である。
○インディアンが「7世代先を考える」みたいな感じかな。

・「美と深慮」は、日常的に絶えず共同体のメンバーによって審査される。
○そうすると、確かに、日々己を律する態度になるだろうな~。

・「学習」は、「魚とり」と同様に、つまらない行為とみなされている。

・商業取引である貨幣の獲得は、ビッグマンにのみ許される行為。
・商業が、共同体に流入することを防いでいる。
・富への際限の無い情熱を、シャットアウトしている。
○共同体を長く維持するための知恵の一つなんだろうな~。

・ゼウスを欺くとは、人間の生命・生活にとって不可欠の行為。

・農業労働を、より高い存在、神々との交流の儀礼的実践。

・アリストテレスは、貨殖術(商業)を「自然に反するもの」として激しく告発した。
・ソフィストは、貨幣と引き換えに、知識を売った最初の知識人である。
○研修講師やコンサルは、ソフィストの末裔なのかも。

・真の活動(プラークシス)とは「何も作らないこと」、非生産的活動である。最たるものは政治活動。
・多忙とは一つの倫理的悪である。余暇(スコレー)こそ自由人の本性にふさわしい。

・プラトンの理想的共和国には、商業が存在しない。
・多忙(Business)は、人間の本性に反するもの。

・商業は、すべて共同体外の異人の仕事。
・貨幣や商業が、共同体内に侵入することが阻止されている。
○ここでも、商業が入らないようにしている。

・労働と奴隷状態とは緊密に結びついている。
・耕作労働の両義性(正極に、楽園の労働、負極に、懲罰の労働)

・血の禁忌による労働蔑視。肉屋、外科医、床屋。

・イスラム圏では、基幹産業が商業。

・商人は、時間を売る。
・商人は、知的操作による情報獲得から、利潤・利子を得る。

・14世紀以降、時間は貨幣的性格をはっきりと帯びる。
・かつて、怠惰は高貴な価値であったが、今や怠惰は罪悪となる。
○まさに、このあたりは、今の感覚に近い。「時は金なり」の考えにおかされている。

・宗教(プロテスタンティズム)は、必然的に勤労(Industry)と節約(Frugality)を生むほかなく、この2つは富をもたらすほかない。しかし、富が増すとともに、高慢、激情、そしてあらゆる形での現世への愛着も増してくる。
○敬虔であればあるほど、神から離れていくということなのかな。いかに「とらわれないか」。

・サン=シモンにとって、科学者と技術者こそが社会の主人公にして指導者なのである。
・サン=シモンの「企業家(Entrepreneur)」は、技術革新を行う企業家であって、単なる資本所有者的経営者ではない。

・近代以前の人々は、労働が卑しいことは、当然のことと考え続けてきた。
・労働嫌悪の理由は、労働による人間的自由の喪失にあった。

・世界に関係する人間的活動は、3つの型に区分される
 1)労働(Labour)2)仕事(Work) 3)行為(Action)

・耐久性をもたないものを作る活動、これが労働である。
・耐久的事物をつくる、道具制作的活動は、仕事。
・人と人との公共的関係を運営する活動が、行為。

○ハンナ・アレントの本「人間の条件」 読んでみよう!

・質的に区別されるべき諸活動を、労働に一元化することが、人間活動の合理化を促進することは確か。

・近代労働観は、万人を労働へと強制する強力なイデオロギーになり、労働社会の実現を加速的に促進した。
・すべての人間が奴隷になる。市場はじめての全般的奴隷制が成立した。
○こう言われると恐ろしいよな~。確かに、会社勤めをしていた時は、奴隷感覚はあったよな~。そこでの労働から抜けだし、仕事をする一つの道筋が、「ミニ起業」なのかも。人を雇用しないことで、新たな奴隷を生み出さない。

・「労働はすばらしい」「労働は人間を鍛え直す」「労働の尊厳」というイデオロギーの根は、懲罰的であり規律訓練的である。

・現代の社会思想の根本問題のひとつは、労働が根本的に奴隷的であることを直視し、それを美化する労働表象をできる限り解体することである。

・(マルクスは、共産主義に至る)過渡期としての社会主義が、奴隷労働的であることに気付いていた。
・マルクスは、社会主義的労働体制(煉獄)を、ユートピア的目標(天国)のための浄化手段とみなし、それを利用するという、いわばダンテ的想像力を発揮した。

参考:ダンテの「神曲」

・20世紀後半以降は、高度の生産力を背景にして「労働からの解放」が急務となる。
○AIを上手くいかせれば、これが達成できるのかも。

・労働は、他の何ものかと結合されなければ、自由な活動への転換はありえない。この性質的転換のための蝶番となるのが、遊戯性である。
・美学は、労働と結合した遊戯性である。遊戯性と結合した労働を、「仕事」と呼ぶ。
○ジョブクラフティングとかはどうなんだろう。労働を仕事にできるのか? 
○「雇われからの解放」としてのミニ起業においては、「顧客づくり、商品づくり、現金のこし」を、自ら考えながら、挑戦し、未来をつくっていける。そこに遊戯性を見いだせるなら、まさに「仕事」になっているのかも。

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『だれのための仕事 ~労働vs余暇を超えて』 鷲田清一(1996、2011)

○『仕事』の解説をされている鷲田先生の本。今村先生と親しかったそう。

・手帳の不安、それはスケジュール表の空白である。
○独立した当初、スケジュール表が真っ白だったときは、不安だったな~。お金につながる活動を全くできてなかった怖さ。

・予定がいっぱいでふさがっていること、つまり「多忙 Busyness」が仕事や商売、事業という意味でのビジネスBusinessの一つの本質である。

・何か実のあること、価値生産的な活動で充填しなければという強迫的な意識。
・たえず何かをしていないと不安になるというビョーキ。
○これ、俺あるし、昔はもっとあったな~。よく奥さんに言われてた。今は少し余裕がでてきたかな、と思いたい。

・インダストリアス(勤労、勤勉)
・工場労働における「奴隷の感情」

○ミニ起業家も、「商品づくり」だけだと、自己満足になる。「顧客づくり」「現金のこし」が必要なことで、自己満足の労働ではなく、他者目線(あたたかさ)や金銭勘定(したたかさ)といった「遊戯性?」も加わり、「仕事」になっていくのかも。

・フーコーの視点からすれば、「自律(オートノミー)」は、権力の側からのより深い服従強制に呼応する心的規制である。自律とは、個人が自己自身を監視し、検閲し、制御し、管理しうるような心的体制のこと。
・Subject主体は、服従させるという行為をも意味する言葉である。

・ひとはたがいに模倣しあいながら欲望を形成するのである。
○これ、今のSNS時代だと益々加速しちゃうよな~。

・「遊び」という間を欠いた仕事Workが、労働Labor、つまり労苦としての近代的労働なのではないか。

・有用性Utility と 有意味性Meaningfulness
・ある目的のために(in order to) と それ自体意味のある理由のために(for the sake of)

・人間の文明は、その身体能力を外部に出すという形で進化してきた(例:自動車)
・脳は記憶したり計算したりする仕事を免除されることで、別に何か新しい創造的機能を発揮しだすのではないか。
○AIで何か起こせるかも。

・主婦、子ども、老人たちは、労働の現場から除外されている分、もっぱら消費の担い手として登場。

・自分がこんなに動けるのは、実は自分のことを考えて、積極的にじっとしている人がそばにいるからだ、と深く思い知ることがある。
・誰かが私を気づかい、私を遠目に見守っている。
○比企大が、そういう存在になれたらいいな~。

・ホモ・ヴィアトール(行人)途上にある

・ひととしての「限界」に向き合い、それと格闘すること、そこに仕事の意味がある。
○ミニ起業家で言えば、「絞り込む」発想。

・保護膜としてのコミュニティーを再構築。
・希望には、編み直すという途もある。

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『AI時代の労働の哲学』 稲葉振一郎(2019)

・他者とのコミュニケーションにおいては、確たる目的をこれと定められない場合がある、典型的には、コミュニケーションの相手たら他人を理解することそれ自体を目的とする場合である。

・あらかじめ明示的な同意をとらずに、臨機応変に雇い主の命令に従ってもらうことを期待するからこそ、「雇用」という形をとる。
○確かにそうだよな~。ジョブ型「雇用」だと、そもそも矛盾する? だったら「業務委託」でもいいのかも。

・雇用、請負、委任

       低付加価値  高付加価値
・ジョブ型:定型化された単純作業、高度専門職
 メンバーシップ型:一般事務職、幹部候補生

・ジョブ型雇用は、ますます外部化されていく。
○ジョブ型を望む人は、組織内部にいるよりも、外部にいて、複数の組織から、外注(業務委託)してもらう方がいいのかも。

・産業社会論の代表者 P.ドラッカーは、私有財産と市場の時代は終わり、産業と組織の時代が来たと考えた(『経済人の終わり』)
・私的所有権制度や市場経済は、他に代えがたいインフラだった。

・その手順を言語化できず、プログラム化できないような仕事は、機械化が困難。
○職人の「カン・コツ」みたいなところこそ、人間の仕事として残っていくのかも。

・譲渡可能な物的資本と、譲渡不能の人的資本。
・連続的な技術革新の中で、雇用労働者のほうも、次々に人的資本の中身を更新していかざるを得ない。

・AI機械を資産として保有する資産家と、賃金労働者の間の格差のほうが重要になってくるのではないか。

・相変わらず私達の経済社会は、企業を主役とする市場経済であり続けるだろうし、普通の人々の暮らしも、雇用かせいぜい請負労働を中心としたものであり続けるだろう。
○ミニ起業家の多くは「業務委託契約」で仕事をしている。請負も「業務委託」の中に入る。(他には、委任、準委任)AIによると、請負は「成果物を提供する契約」、業務委託は「業務を実施する契約」だそう。

・仮に、AIが人間を雇用して、事業を営むようになったところで、それは単に、新しいタイプの「人間」が増えたというだけのこそ。
○企業も「法人」という新しいタイプの人間だから、AI経営者も、新しいタイプの人間ってこと?

・AIの発展は、資本主義社会の「身分制社会」への移行の可能性を、促進しかねない。

・人間と同格の「人格」を備えた存在とは言えず、かといってもはや純然たる道具として扱うわけにもいかない、いわば中途半端な存在に、AIがなってしまう可能性は高い。

・正規雇用という枠組みは、「自発的な契約による奴隷・奉公人」である。
・ギグエコノミーは、個別の仕事をいちいち切り分けて、外部市場で取引する仕組み。その契約様式は、請負として組織されている。

・定式化されない暗黙知が、定式化されないままに、グローバルに移転可能となるのではないか。AIならぬ、Remote Intelligenceの可能性。

・資本は、モノではなく、社会関係である。
・近代的な資本主義経済における搾取は、それが形式的には自発的な等価交換、対等の取引を通じて行われるところにある、というのがマルクスの議論のポイント。
○見えにくいし、搾取されることも、自己責任となってしまいそう。
 マルクスの「資本論2,3」も、いずれ挑戦しよう!

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投稿者:関根雅泰

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