
○歩いていた詩人や哲学者たちの本(3冊+α)
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『孤独な散歩者の夢想』J.J.ルソー 永田千奈訳(2012)
・孤独な散策を書き記す。
・孤独な瞑想の時間こそ、1日のうちで最も私が私でいられる時間なのだ。
○この人、ほんと散歩が好きだったんだろうな~。なんか好きになる。
・老いて学ぶべきは、いかに死ぬかということだけだ。
・生まれたときよりも、徳の高い人間として死ぬことができたら、幸せだと思う。
・敵対した相手からでも、学ぶことができる。
・楽しんでできること以外は、続けられないのだ。
・「嫌なことはしない自由」こそが自由である。
○これ、ほんとそうだよな~。独立して、ある程度守ってこれた自由かも。
・自分に向き合わざるをえなくなるからこそ、多くの人は、逆境をつらいものと感じるのだろう。
・心が落ち着いていなければ、人を愛する気持ちは生まれない。
・啓蒙の時代には、夢想という営みは、精神の理性的な仕事である思索と比較して、低い地位しか与えられていなかった。
・ルソーは、自己を語る方法としての「夢想」の重要性を人々に示したのである。
30年前、USM(University of Southern Missisiippi)に留学してた頃、Literature文学のクラスで、こんな分厚い本が教科書だった。

最初は「うわ、これ読むのかよ」と思ってたけど、担任の若い男性の先生の教え方が面白くて、楽しみな授業の一つになってた。

その中で、ルソーの『告白』を一部読んでた。

その先生は「小難しく考えず、まずは読んでみて」と読むことを促し、その後、授業で解説してくれて、自分だけだと気づかなかった点を教えてくれた。「あー!そういうことだったんだ~」という小さな「Aha体験」をたくさんさせてくれた。今思うと、教え上手な先生だったんだろうな~。
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『対訳 ワーズワス詩集 イギリス詩人選(3)』山内久明編(1998)
・Ended in this, that we had crossed the Alps.
○いつの間にか、アルプス山脈を渡り切ってたって、なんかいいな~。
・ワーズワスの詩に「人をより賢く、よりよく、より幸せにする」力を見出した。
○これ、すごいな~。まだ、そこまで感じ取れてないから、ワーズワス、また読んでみよう。
・なによりも大切なのは、英語の原詩を楽しむことであろう。
○留学時代の「Literature」の授業でも、ワーズワスを読んでた。


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『喜ばしき知恵』F.ニーチェ 村井則夫訳(2012)
・君のいる場所を深く掘れ!地下には泉があるからだ!
○「宝は足元にあり!ヒントはお客にあり」に通ずるかも。
・哲学者にあらざる者、すべてはこれ奴隷なのだ。
・思想家は、自分自身の行動の内に、何ものかの解明のための試練や問いを見ている。事の成否は、彼にとっては何よりも解答なのだ。
・散文とは、詩に対する絶えざる典雅な闘争。
・闘争は、あらゆる良きものの父である。
・自由たらんとする者は、自身の力で自由にならなければならない。自由とは、向こうから転がり込んでくるものではないのだ。
○考え続ける者(≒哲学者)にならないと、いつまでも奴隷であり、自由にはなれないってこと?
・キリスト教の目的とは、全世界を「ユダヤ化(罪の感情を持つ)」するところにあった。
・隠れた敵を持ち続けていられること。これは気高い人士の人徳をもってしても、簡単には得がたい贅沢である。
○この人は、敵を持ち、怒りをもちながら、考え、発信しつづけてたんだろうな~。
・彼は信頼できる。彼はいつも変わらない。
・われわれはできるだけ「図体を大きく」しないのが賢明なのだ。
・論理ほど、民主主義的なものはない。
・民衆が「認識」を求めるというとき、それは何か未知のものを既知のものへと還元したいということに尽きるだろう。
・女性と男性は、愛ということで、それぞれ別の何ものかを考えている。
・自らをすっかり身を捧げようと望む男性があるなら、それはつまり男性ではないのだ。
・われわれはいつも、外気の中で思考する。
・道そのものさえ思索に耽る、そんな場所で考えることである。
○ほんと、この人、様々な問いを立て、歩きながら、考えてた人なんだろうな~。
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