【木曜日25-28】歩く本(3)

木曜日

【木曜日25-28】歩く本(3)

○『歩くという哲学』の著者が男性であったのに対し、この本の著者は女性。「なぜ女性は戸外の歩行者とならなかったのか」という問いかけ(1冊)

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『ウォークス 歩くことの精神史 Wanderlust:A History of Walking』R.ソルニット(2017)

・歩行のリズムは、思考のリズムのようなものを産む。
・歩行は、思想家たちに格別有用だった。

・書物やコンピューターの中での放浪は、どちらかと言えば制限された、感性の狭い領域で生じるものだ。

・(南カリフォルニアの)多くの土地や、ゲーテッド・コミュニティにおいて、歩行者には不審の眼差しが向けられる。
○確かに、アメリカにいた時、車が当たり前なので、歩いている人は、ホームレスぐらいな印象があった。安全に歩ける場所は、大学のキャンパス内ぐらい。

・ルソーは『告白』でこう書いている。「わたしが集中できるのは、歩いている時だけだ。立ち止まると考えは止まる。私の精神は、足をともなうときにだけ働くようだ」

・哲学者たちは、よく歩く。しかし、歩くことについて考えた哲学者は多くはない。

・キェルケゴールは、精神がもっともよく働くのは、周囲に気を散らすものがあるときだという考えを記している。

・歩くことそれ自体が、個々の思考を世界についての個人的で生きた経験に根付かせる方法なのかもしれない。

・フッサールは、歩行とは自己の身体を世界との関係において理解する経験であると述べている。

・(歩くことは)身体を通じて世界を知り、世界を通じて身体を知ること。
○確かに、足の裏から、地面(世界)を感じるのは、これに通じるのかも。

・直立歩行が、人類誕生の最初の徴である。
・塔のように堂々として、常に転倒の危険をはらんだ柱のような肉体。これは、動物界では異例の存在だ。
○言われてみればそうだよな~。四本足で地面をつかんでいる存在との大きな違い。

・歩行は、生物が進化の過程で超えた、ヒトとそれ以前、ヒトとそれ以外の霊長類を隔てるルビコン河であった。

・骨盤は思考と歩行が出会う秘められた舞台。

・触れえぬ存在を求めて歩くこと。巡礼。
・巡礼者は、しばしば旅路の困難さを歓迎する。

・霊性には、地理がある。
・歩くことは、巡礼者の清貧と決意の表れだ。

・物語へ身体ごと入ってゆく仕掛け。
・目だけではなく、足でたどることのできる物語。
・物語が少しずつ明かされていくように、道は旅する者に徐々に開かれていく。

・お話を書く、ということは、歩くことに親密に結びついている。

・歩行による「読解」を世界の描写に利用する。もっとも名高いのはダンテが死後の三界を遍歴してゆく『神曲』だろう。
○おー!『神曲』読んでみよう!

・ワーズワースは、哲学の道具として、両脚をつかった最初の人間。

・旧約聖書『雅歌』以来、囲いのある庭園は、女体のメタファーだった。
・要塞化した城館の一隅にはじまった貴族の庭園の障壁はゆっくりと溶けて消えていった。庭が世界へ溶けだしてゆくことは、イギリスがどれだけ安全な場所になったかということの徴だ。

・女性一般に門戸を開いた活動と言えるものが、歩くこと以外にはほとんどなかった。
・歩行は、心身両面の自由を表明しているのだ。

・書くために歩き、歩くことを自らの拠り所とする。

・歩くことは、誰でも参加でき、誰が実践しても大して変わりがない、つまり数少ない階級の存在しない世界の一つ。
・ウォーキングには階級が存在しない。そんなスポーツはそれほど多くはない。
○なるほど。言われてみれば確かにその通り。

・ソローは、自然界を歩くことと、自由を結びつける。

・書き手にとっては、長い距離を歩くことは、語りの一貫性を獲得する手軽な手法となる。

・山は、霊界に近づく場所。
・おだやかな山登りは、記録を打ち立てることとは関係なく、人生の長きにわたって楽しむことができる。

・6世紀以前には、日本人は神聖とされた山には登らなかった。
・17世紀の俳諧師、松尾芭蕉は逍遥の旅の中で、修験道の霊峰にも登り、そのことを俳句紀行文の傑作『奥の細道』に記している。
○「歩く本」として、『奥の細道』改めて読んでみよう。

・歩行は、所有のアンチテーゼである。
・歩くことは、大地において、動的で抱え込むもののない、分かち合うことのできる経験を求める。

・ジェイコブスは、良く使われている道が、ただ人通りが多いということが、いかに治安の維持に役立つのかを説明している。

・娼婦を除けば、街を自由にさまようことが許された女性は、ほとんど存在しなかった。

・田舎の孤独は、地理的なもの。街では、見知らぬ人々が織り上げる世間によって、私たちは孤独になる。

・1840年ごろには、パサージュの散歩に、カメを連れてゆくことが流行したとベンヤミンは述べている「遊歩者は、カメに歩調を合わせることを好んだ」

・歩くことは、性行為となる。

・大いなる歩行者の街パリは、偉大な革命の街でもある。そこには、本質的な連関がある。
・あらゆる革命都市は、古風な街だ。

・散歩は、男女の交際における確立された文化となって久しかった。

・歩行の歴史において、主役はいつでも男性だった。
・なぜ女性は、戸外の歩行者とならなかったのか。

・英語には、女性の歩行を、性的な文脈におく語彙やフレーズがふんだんにある。

・旅行は、およそ男性の特権で、女性は、目的地か、報賞か、家庭を守る者となるのが通例だった。

・(著者)自分は、戸外で人生や自由や幸福を追求することが本当の意味では許されていないということの発見に、わたしは人生でもっとも打ちのめされた。
・世界には、わたしの性別のみを理由にわたしを嫌い、傷つけようとする他人が大勢いて。
○これ、きついよな~。そういう世界を男が作ってしまっているのかも。

・経済や教育に加えて、公共空間への自由なアクセスも、芸術創造の条件。
○これが、戸外を自由に歩き回れない女性には、得にくかったということなんだろうな。

・歩くことを「指標生物」と考えるのが一番よいのかもしれない。
・指標生物は、生態系の健全性を知るための手がかりで、その危機や減少は、系がかかえる問題を早期に警告する。
○歩くことが減る、歩きづらくなる社会は、人間という生き物にとって健全ではなく、先々の問題につながってくる可能性あり。

・アメリカの郊外住宅地は、自動車のスケールで構築されている。
・人々が歩くことを想定してない。

・公の場に集うという民主的で解放的な機会も、集う空間のない場所には、存在しない。
・郊外が締め出したものの一つは、政治への関わり合いだったのだ。

・ある意味で、自動車は、義肢になったというべきかもしれない。

・歩行の衰退の本質にあるのは、歩く場所の喪失だが、そこには時間の喪失もある。

・歩行の文化は、産業革命がもたらす速度と疎外に対抗するものだった。
・19世紀の浮世絵作家 広重による『東海道五十三次』だけが、立ち止まることでない歩みそのものを感じさせる。
○『東海道五十三次』を、歩く本という観点で、じっくり観てみたい。

・空間の私有化によって、歩行や演説やデモが、違法行為となりつつある事実は、合衆国が向かう先にある紛争を予告している。

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投稿者:関根雅泰

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