【木曜日36】LPP+立教大学院 中原研 夏の特別ゼミ(2)

立教大学院

【木曜日36】LPP+立教大学院 中原研 夏の特別ゼミ(2)

○21年9月14日(火)13時~17時、立教大学院 中原研 夏の特別ゼミ(2)に参加させてもらいました。そこでの課題本『状況に埋め込まれた学習』の概要と、ゼミでの意見交換を、差しさわりの無い範囲で共有します。

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『状況に埋め込まれた学習~正統的周辺参加』 J.レイブ、E.ウェンガー(1993)

↓ 2009年当時の読書メモ

●ゼミでの意見交換

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第1章 正統的周辺参加

・ポイントは、正統的周辺参加は、全て(学校含め)がそうだと述べていること。
・一般知識を奉るコミュニティへの参加が、学校への入学。
・良いも悪いも全てはLPPだと言っている。

・「権力が周辺にある」
・中心にいる人は、周辺から来る人に「寝首をかかれる」恐れがある。
・中心ではなく、十全。
・老獪な古参は、LPPから外れていく。LPP的に言えば、オワコンたちが集まるコミュニティに参加していく。

・LPPは、社会を見るメガネを提供したから、影響力が大きかった。

・教育の業界に、LPPが引用される時、ある教育手法を正当化する際に、利用される。
・科学者のコミュニティにいれば、子どもは科学者になれるという言説。
・学校教育を、LPPで良くするという論は、誤読。

・「学びの共同体」と、LPPがくっついて語られるようになった。
・ねじれが生まれた。学校教育の手段として、LPPという理論を作ったわけではない。

・力を持った時には、弱くなってくる。
・社会の中に共同体が常にある。共同体を維持するためには、新しい人が入ってきて、古い人が出ていく。だからこそ、中心ではない。

・「周辺から中心に行って、一人前」と理解され、LPPは批判された。
・コミュニティの移動を「トラジェクトリー(軌跡)」という概念として、ウェンガーは提示した。

【中原先生からのコメント】

LPP論においては、参加の対象として、単層的に捉えられがちあった「コミュニティ」を、重層的なものとし、学習者の「コミュニティの移動」を「トラジェクトリー(軌跡)」という概念で把握したのは、他ならぬ、エティエンヌ=ウェンガーでした。

 ウェンガーによると、トラジェクトリーには5つの類型があります。

1.周辺的トラジェクトリー
 コミュニティの周辺において実践を行っているときの学び手の変化のこと。このトラジェクトリーは、必ずしも、十全参加に向かわない場合もある

2.上りのトラジェクトリー
 新参者が共同体の完全な参加者になりたいという希望をもって、移動すること。ある共同体において中心的な位置をしめたい、ということを意味するので、「上昇志向のトラジェクトリー」と考えることができる。

3.内部のトラジェクトリー
 ある学習者が、コミュニティの中心的活動に従事するようになったあとに形成するトラジェクトリー。中心参加後も、学習者は、そのコミュニティにおいて、アイデンティティを形成し続ける。

4.境界領域トラジェクトリー
 コミュニティ間の境界領域にあり、複数の共同体を結びつけることに価値をもつ学習者のありかた。複数の領域をプラプラしながら、自己のアイデンティティを保とうとする。

5.下りのトラジェクトリー
 いったん参加した共同体から出て行くときのトラジェクトリー。

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 ここでエクササイズ。もし近くに人がいたら、ペアになって、絵を描きながらトライしてみてください。片方の人が絵を描きながら説明しているときには、片方の人はいろいろと質問をしてあげてください。
Q1.あなたは、今、いくつのコミュニティに参入していますか?図であらわしてみてください。
Q2.あなたは、それぞれのコミュニティにおいて、どのようなトラジェクトリーを描こうとしていますか?
Q3.最後になりたい「自分」は、どのコミュニティにいる、どんな自分ですか?

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「コミュニティ」そして「トラジェクトリー」というコンセプトは、わたしたちにいろいろなことを気づかせてくれます。

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第2章 実践、人、社会的世界

・「働く職業や国もコロコロ変わる現代社会において、LPPを応用すべきフィールドは?」(辻さん)

・終身雇用が維持されていた日本企業だと、LPPが穏やかに進んできたのでは。
・新参者と古参者のコンフリクトは目立たなかった。

・コンサル会社だと「Up or Out」と、闘争して上に上がれなかった時は、出て行っていた。

・レイブとウェンガーがこういう論を述べた背景は?
・アメリカだと、徒弟制は無さそうな気がするが。
・プロフェッショナルは、最初、徒弟制だが、知識の体系化を経て、プロフェッショナル集団になっていく。

・知識は、全て文脈依存。個人の頭の中で終わるのは、学習ではないのでは。
・今までの学習の否定というよりも、今までの見方だと、とらえきれていないということでは。

・知識は使わないと意味がない。身体性を伴うものなら、LPPはイメージがわくが、身体性を伴わないものだと。

・Whole personness 全人格がキーワード。
・頭に知識を入れて、えらいと言われているコミュニティに参加しただけで、それは学習の一部。

・顕微鏡で学習を見るのではなく、双眼鏡で学習を見る。

・この章で、半年間、ゼミをした。(佐伯先生のゼミ時代)

・「中原研ぽい」行動、中原研の人とのつながり、それによる変化が、Whole personに起こる。

・「LPPのメガネをかけて観たら、状況がLPPだった」という研究になりやすい。

・この本は、人類学では。

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第3章 産婆、仕立屋、操舵手、肉屋、断酒中のアルコール依存者

・共同体の再生産や、社会的な変容については、触れられているのか?

・徒弟制は、ヨーロッパだけではなく、色々な地域で行われている。

・若い人たちが、古参者を追い出したり、自分が独立することで、共同体が再生産される。

・ホリエモンのすし屋の議論。下積みに意味がない。寿司アカデミーで学んで、それで十分では。
・寿司職人の熟達だけで考えたら、その方が効率が良い。
・すし屋の職人の見習いは、低賃金で働く労働力。彼らに教えないことで、経営を安定させる。
・コミュニティと切り離して考えれば、寿司アカデミーという発想になる。

・日本料理の職人が、独立しないよう、ある一部の料理しか教えない。(煮物しか作れない等)

・「若者を育てる」というのは、共同体の継続や、古参者の排除されたくないという気持ちとも結びついている。

・学校教育と学習は全く違う。

・寿司アカデミーだと、すし屋の文化は学べないのでは。
・新参者が学ぶのは、その世界がどうなっているのかの地図を描くこと。

・お客さんとの関係性も大きい。
・寿司アカデミー出身者にお客がつくのか。

・親方が全体を把握していればよい。世襲だから。

・フィールドとの接点は、弟子にも渡さない。
・学習は、利害関係の中にあると見たのが、LPPの凄さ。

・LPPが上手くいくのは、徒弟制が上手くいっている所だけなのでは?

・徒弟制のやばい所は、当たり外れがでかい、外れた時は地獄、才能ある奴を伸ばせない。選べない。

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第3章 産婆、仕立屋、操舵手、肉屋、断酒中のアルコール依存者(続き)

・徒弟制で学ぶ順序の設計、学習資源へのアクセスの設計は?(堀尾さん)

・自分の力で切り開けない人もいる。

・全体像を見せる、長期に物事を考えさせるのが重要。
・まずは「全体性」を見せる。
・失敗しても良い経験(ボタン付け)をさせる。
・最後が、裁断。

・全体像を見せるからこそ、それぞれの学習資源へのアクセスが可能になる。

・全体像+Accessibilityで、人が育つ。

・Job型雇用は、やる側がしたたかでないと難しい。
・「Jobに特化したことしかできない人」になる。

・熟達することが必ずしも幸せではない。
・「白物家電」に熟達しても・・・

【中原先生コメント】

熟達するがゆえに、危機に陥る不要とされる不安にさいなまれるようになる

セネット「不安な経済/漂流する個人」
http://www.otsukishoten.co.jp/book/b53923.html

・非正規雇用の場合、学習が限定されている。それを許容している社会。
・周辺的には参加できるけど、十全的な参加が出来ない。
・コミュニティに入ってない状態。

・ギグエコノミーの人材育成はどうなるのか?

・「日本社会の仕組み」以前は自営業者が多かった。
・雇用で吸収される層の増減もあるのでは。

・Good jobとBad job アメリカでの非正規雇用を考察した本。
https://www.amazon.co.jp/Good-Jobs-Bad-Precarious-Employment/dp/0871544318/ref=sr_1_5?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&dchild=1

・ギグエコノミーは、「おしゃれ日雇い」
・スキルを買うプラットフォームにより、価格が下がっていく。

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第4章 実践共同体における正統的周辺参加

・学校教育の意義は?(東南さん)

・文化には3つのレイヤー。仕事のプロセスマニュアル=人工物。組織で大切にされているバリューが組み込まれている。

・LPPを実生活に適用できるのか?
・認識論(LPP)を、方法論(教育学)に転換する。それが、文化人類学から見ると、何言ってるの?という感じ。

・教育のカリキュラムはあるけれど、学習のカリキュラムがない。
・学校では、教育のカリキュラムはあるが、社会を学習するアクセシビリティーが閉じている。

・実践へのアクセスが、学習に重要。
・情報を閉じずに、アクセスできるよう(実践している場を見させる)にしている。

・アクセシビリティーを制限するのが権力。
・インターネットは、学校開放の道具。実践へのアクセシビリティを高める道具として、インターネットが位置付けられていた。

・博士課程への入り方が分からなかった。
・形式的なテストを受けて、公平に処遇されるというのは学校教育。
・胸先三寸で決まってしまうのが、娑婆では。

・Apprenticeship 徒弟制は「生活」。
 「私と一緒に生活できますか?」

・某職種へのアクセシビリティも分からない。
・異動もなく、ずっと過ごす。見極めてから。

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第5章 結論

・実践共同体への参加にあたって重要な「印象的な物語」は?(加藤さん)
・語りが「共同体」を生み出す。

・ゲートキーパーが、アクセシビリティーをどう制限するかで、参加しやすさが変わってくる。

・かつての大学は、徒弟制。各研究室が勝手にやっていた。
・そこで、文科省が教育カリキュラムを導入していった。

・学びたくない学生と、教えたくない教員の共犯態勢が、レジャーランド大学。
・大学は変わった。

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解説(前半)

・具体と抽象どちらに目がいきがち?(斉藤さん)

【中原先生コメント】

状況論を学校改革の基礎理論に位置づけようとしたときに経験する「理論的不純」の問題は、この論文が話題になりましたね。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcss/9/3/9_3_385/_pdf/-char/ja

この論文に対する三宅先生のコメント。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcss/9/3/9_3_400/_article/-char/ja

・例えば、CSCLの評価においては「CSCLをやった群の方が良かった」というものが多かった。LPP的なものよりも。
・他者コミュの大事さと言いながらも、個人の頭の中の学力を、結局は測るのか。

・協調する目的は、個人では気づけないことに気づけるから。

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解説(後半)

関根のレジュメ

ブルデューの『再生産』

http://www.nakahara-lab.net/blog/archive/12453

・リモートワークだと、「参加」が難しくなってきているのでは? 物理的に近くにいない、観察がしづらい、コミュニティの一員だという実感を得にくい。リモート下で、新参者の参加を促すには?

・オンライン呑み会しか解決策がない。
・やり方を工夫している。Zoomではなく、近づけるツールを使う。金曜日の夕方から呑み始める。

・グループリフレクションや、オンライン読書。ABD。1時間ちょっと。部署をまたいだコミュニケーション。

・対話の場を就業時間内に作る。コミュニケーションの量が減っている。

・事例が上手くいっているのは徒弟制のみでは。
・バーチャル空間に入り浸っている。(アラウンドに繋ぎ続けて仕事をしている。弱いつながりができる)

・「ガチ対話」の機会を作る。
・オンラインのコミュニティ。2か月ぐらいたつと、ギスギスする。・匿名でサーベイフィードバックを行う。・あれをすると一体感が高まる。・問題が顕在化するまで2か月ぐらいかかる。

・「仲良くなる」を目的にするのが良いのか?・皆で取り組む課題を通じて、結果として仲良くなる。

・ナナメの関係。別部署の2個上の先輩が話しを聴く。
・中途は投げ込まれてお終い。

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皆さん、ありがとうございました!

↓ 以下は、解説でも引用されていた『再生産』 

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『再生産』 P.ブルデュー&J.C.パスロン(1991)

●第1部 象徴的暴力の理論の基礎

・象徴的暴力を講師する力:様々な意味を押し付け、しかも自らの力の根底にある力関係を覆い隠すことで、それらの意味を正統であると押し付けるに至る力。

・教育的働きかけ:恣意的な力による文化的恣意の押し付けとして、一つの象徴的暴力をなすもの。

・生徒を愛情で満たすというやり方は、愛情を引き上げるという微妙な抑圧の手段も与えられるということで、恣意的な教育テクニックをなしている。

・送信の正統性を認めること、すなわち送り手の教育的権威を承認することが、情報の受容の条件となる。

・文化資本とは、種々の家族的教育的働きかけによって、伝達されてくるもろもろの財のこと。

●第2部 秩序の維持

・上層階級出資員の学生たちの有利さ

・図1 言語資本

・企業経営者の息子は、74%の大学進学チャンスを持っている。

・第2図

・フランスの教育システムは、特権階級が独占している限り、正統として承認し、押し付けがちな文化への関係を習得する条件を独占している。
・正統的文化の教えこみの様式と連続性をもっている。

・この様式は、何が要求されているかをはっきりとはいわない。
・すでに受けている者でなければ完全に受容できないような教育と情報を与える。

・フランスの教育システムは、ヨーロッパの中で、試験を最も重視するもの。

・社会階級ごとに、離学率に差がある。

・学校は、既成秩序の再生産に寄与することができる。なぜなら、学校は、自らの果たしている機能を覆い隠すのに、最高度に成功しているからである。

・伝統的教育システムは、すべて社会の保守の機能に仕えるようあらかじめ傾向づけられている。

・教育システムの最も目に触れにくい、最も特徴的な機能は、その客観的な機能を隠ぺいする事、すなわち階級関係構造へのその関係の客観的真実を覆い隠すことにある。

・高等教育の就学人口の増加は、大学人口の民主化というよりも、恵まれない諸階級の代表が減少していることを覆い隠している可能性もある。

●解説

・ブルデューとパスロンは、「教えること」とは何か、それが成り立つための「社会的諸条件」は何かを執拗に問いかけている。

・大学特有語が、いかに排除、選別の具となっているか、またその点で有利さを享受するものが、いかに出身階級からの言語的有利さを受け継いでいるか、と言うことである。

・言語的有利さ=言語資本

・教育的働きかけは、正統化された権威を通して行われる。
・教育的働きかけを、「文化的恣意」の押し付け、教えこみと規定。

・ハビトゥス:知覚、評価、行動などへの一定の態度性向?

・遺産相続の結果であるものを「天与の才」の表れと見なしたがる。この誤認に基づく正統化こそが、特権階級のイデオロギーに他ならない。

・コンクール(競争試験)で「能力が及ばなかったから」と観念し、結果を受け入れる。学校での選別が、社会構造の再生産に資することになる。

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参考:

「デザインド・リアリティー ~半径300mの文化心理学」有元 典文, 岡部 大介
https://www.learn-well.com/blog/2009/09/post_276.html

「学習科学とテクノロジ」三宅ほなみ・白水始
https://www.learn-well.com/blog/2009/06/post_253-2.html

「未来の学びをデザインする」美馬のゆり・山内祐平
https://www.learn-well.com/blog/2009/06/post_254.html

2011年 東大大学院夏合宿
https://www.learn-well.com/blog/2011/09/2011-2.html

2010年 東大大学院夏合宿
https://www.learn-well.com/blog/2010/09/post_324.html

2011年6月~7月「組織開発研究会(シャカシャカ研)」

投稿者:関根雅泰

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