【木曜日37】状況論

木曜日

○中原ゼミでの意見交換に刺激されて、積読になっていた状況論の本を読みました。

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状況論的アプロ―チ①

『状況のインターフェース』上野直樹(編)(2001)

・90年代において、コンテクストやコミュニティの「境界を横断する(Crossing Boundary)」問題として定式化されてきた。

・レイブ(1997)によるなら、学習とはいくつかのコンテクストを横断する「参加の軌跡 Trajectory of participation」として定式化できる。

・思考の領域普遍性への疑問
 思考の領域固有性(Domain specificity):知識や能力を持っていたとしても領域によって使えたり使えなかったりする。

・学習することは「自分が何者かになっていくこと」を意味する。

・学習を個人内の変化としてではなく、社会的な達成として捉え直す。

・学習は「行為の反復によって必然的に引き起こされる個人の変化である」という学習の素朴実体論をいったん停止し、道具や他者といったリソースの参照によって社会的に「可視化される」=実体化される社会的な構築物であるという説明の置き換えを試みたい。

・一般に心理学では、学習は「経験によるある程度持続的な行動の変容」と定義される。

・学習するとは、ある文化に「初心者」として参加することを意味する。

・(ある仕事場の活動は)アーティファクトを用いた空間と時間の組織化である。

・従来の認知研究は、記号処理アプローチと呼べる。

・レイブ(1988)によれば、学習された「事実」がある状況から別の状況へ転移するのではない。

・すべてを個人の要素的能力に帰属し、その要素的能力を高めることを教育の目標とするというのが、従来の教育心理学的アプローチの中心であった。

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状況論的アプロ―チ②

『認知的道具のデザイン』加藤浩・有元典文(編)(2001)

・学習は、本質的に社会的な活動である。これが、状況論が獲得した学習観である。

・人間の知的活動は、人工物(Artifact)によって媒介されている。

・学習活動の分析の枠組み

・正統的周辺参加においては、参加形態の変化の過程こそが、学習において本質的な出来事である。

・LPPは、学習者が既存の固定的な組織の中に組み込まれ、同化される過程であると批判される。

・パストゥールの研究では、細菌を社会的な存在として可視化した。

・人は外界とのインストラクションを通して有能さを発揮する。能力は個人に内属するものではない。

・教育におけるコンピューターの利用は、第二次世界大戦中の米国の兵員教育に始まった。そして、1960年代初頭の行動主義学習理論家であるスキナーのティーチングマシンの思想に大きな影響を受け、CAI研究として発展していく。

・19世紀末から20世紀初頭にかけて、テーラーの科学的管理法の思想が、米国の産業合理化に影響を与えた。
・テーラー主義の影響による教育工学には、教育とは形式的に記述可能な動作系列であるという前提がある。

・1950年代中頃には、認知科学が、心理学におけるスキナーらの行動主義批判として誕生した。

・レイブとウェンガーは、学習をつねに状況に埋め込まれたものとし、その場合の状況とは、何らかの社会的実践に役割をもって参加する過程として捉えている。

・ノーマン(1993)は、道具を「体験」と「内省」のための道具の2種類に分けた。

・学習の場の社会的状況をコーディネートすることもデザイン活動に含まれる。

・LPP的学習観に立てば、社会的関係の変化こそが学習の過程。

・社会が学校文化を助長しているのと同時に、学校がその社会構造を再生産している(ブルデュー、パスロン1991)

・ある種の徒弟制では、親方が徒弟に明示的に「教える講師」は殆ど見られない(レイブ、ウェンガー1991)

・関係性をどう捉えて、どうデザインしていくかに、状況論的アプローチの真価がある。

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状況論的アプロ―チ③

『実践のエスノグラフィ』茂呂雄二(編)(2001)

・意味ある行為をつかまえようというのが、エスノグラフィの視点。

・活動理論、社会文化的アプローチ、状況的学習論、文化心理学といったトレンドは、すべてヴィゴツキーのアイデアに支えられている。

・エンゲストロム(1987)は、学習を新しい活動形態の創出に関わる、特殊な活動の形態と考えている。

・レダー(1993)は、仕事場の雑種時間性と、多重文脈性を指摘している。

・経験主義に特有の議論の仕方が、具体と抽象の二分論である。
・経験主義=科学的実証主義では、実践を除外する。
・経験主義の言う具体と抽象は、個人の頭の中にある。

・ヴィゴツキーは、経験主義が心理学の危機の源泉の一つだとみている。

・『思考と言語』は、「言葉の意味」のオデュッセイアであり「成長物語」であると言える。
・この本は、言葉の意味の起源に迫る歴史書である。

・熟練者が、環境を作りかえている。

・「わたし」が環境に働きかける活動システムの中に「わたし」の能力は立ち現れる。

・活動システムの分析レベル

・「学習転移論」では、問題解決場面のより多くに適用可能な知識として取り出されなければならないと考える。

・共有された媒介を他者に支えられながら獲得することで、人はコミュニティのメンバーとして発達していく。

・ワーチは、ヴィゴツキーの理論を、バフチンの理論によって拡張するという作業を行った。

・合理的な経済人というモデルに、経済学は執着してきたが、現実の文脈では実行不可能だという点に、自覚し始めた。
・情報処理にかかる時間的コスト。

・内省:
 1)隠遁型:すでに行われてしまった過去の行為に対する想起と分析
 2)過程型:行為をリアルタイムでチェック、モニターする

・徒弟制においては、技能以外の様々な社会的関係をその親方と弟子の間に強制するという側面が問題とされる。
・無報酬の労働を強制、全人格的な支配と同義になる。

・全人格的に参加することが、いわば「社会的に割が合う」場合がある。

・周辺参加論を、学校教育にそのまま適用しているような議論が見受けられるが、理論的にはそうとう混乱していると言わざるを得ない。

・学校システムは構造的にモラトリアム的な要素を常に内包している制度である。

・コンテクスト(Context)は、ラテン語の「ともに織りなす、組み合わせる」に由来する言葉である。
・コンテクストは、その場にいる人々によって状況的に共同で織り上げられるものなのである。

・熟練とは、手先の器用さではなく、知的な総合的な判断力。

・日常的な行為の中に「教える意図」が埋め込まれている。
・無関係な行為(例:掃除、飯づくり)の中に、その意図を埋めこんでおくような意図的な「教える」。

・学習者の「学ぶ」働きへ絶大なる信頼が置かれている。
・「教える意図」が成就した証は、学習者側の「学び」の成立にある。

・モノをつくるためのノウハウは、工場の労働者の日常にある。

〇学び手が、身を置くべき現場はどこか?
 LWなら「営業」「研修」が、その現場。

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『心の声~媒介された行為への社会文化的アプローチ』J.V.ワーチ(2004)

・心理学は、人間の心に対する一貫した説明を上手く提供し得ないでいるように見える。

・「声」という用語は、ソビエトの文学研究者であり、記号学者、哲学者でもあるM.バフチンによって提出された。

・ヴィゴツキーとバフチンは、生涯をソビエト連邦で過ごしている。彼らは同時代に生きたが、個人的な交流は無かったようだ。

・行為の中に記号が含まれることによって、その行為が変化する。

・ヴィゴツキーは、大人と子どもの二者関係にもっぱら注意を向けていた。

・バフチンは、声は社会的な環境の中でのみ存在するのだと強調した。

・発話は、常に誰か(つまりは声)に属している。

・バフチンは「誰が、その発話を代弁するのか?Who is doing the talking?」という問いを発した。

・導管メタファーを基礎とするコミュニケーションの伝達モデルは、次のような図式に表される。

・権威的な言葉が、我々に要求するのは、承認と受容である。

・コンテクストを変えれば、その能力を発揮できる。

・思考には、質的に多様な形態が共存する。

・バフチンは、発話が3種類の基本的特徴を持つと考えた:発話の境界性、完結性、ジャンル形式

・読解能力を高めるための方略:
 1)要約する(自主的な復習)
 2)質問する
 3)明確にする
 4)予測する

●訳者あとがき

・ワーチは、M.コールと共にアメリカにおけるソビエト心理学研究の中心的存在である。

・本書は、ヴィゴツキーのアプローチの神髄が「人間の精神活動の基本的特性が、道具や記号による媒介」にあることの強調である。

・ヴィゴツキー流の記号媒介論の拡張。

・ワーチは、隣接領域との対等なコミュニケーション、市井の人々の対話の重要性を説いた。

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「状況論的学校改革プロジェクトの本質的困難と対処戦略」 鈴木・船生・加藤(2002)

・状況論の萌芽は、1980年代後半。
・CSCLは、状況論的な考え方を起源として発展。CSCLは、学校改革を志向したもの。

・状況論的学校改革としてのCSCL研究が直面する2つの困難:理論的不純、一貫性崩壊

・状況論的学校改革という作業を、状況論的に位置付けられないという困難。

・互いに整合しない言説間の緊張によって発生。

・「学校的学習」 当て物ゲーム(Edwards 1990) I-R-Eシーケンス(Mehan 1979)

・テストは、明らかに、知識が個人に所有されることを前提。
 「人と一緒にやって出来ても出来たとはいわない」

・「二点突破」から「言説交流」という2段階の戦略が有効。

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「鈴木他論文へのコメント2」 三宅・白水(2002)

・(これまでの)研究を次のステップに進めるためにどうしたらいいのかが殆ど伝わってこない。
・その意味では不幸な論文だと言えるのではないか。

・鈴木らの言う「政治的な活動変換」をしなくても、デザイン実験が進展しうる一つの例と取れないか。

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投稿者:関根雅泰

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