「フィールドワーク」 

お薦めの本

「フィールドワーク 増訂版 ~書を持って街へ出よう」
  佐藤郁哉著

○フィールドワーク(質的研究法)を実行する際におさえておくべき注意点と
 具体的な方法を、自身の体験と幅広い文献から紹介してくれる本。
 これを読むと、フィールドワークをしたくなる。

(・引用 ○関根の独り言)
・フィールドワーカーは、自国と調査地の両方の社会にとって
 「異人(ストレンジャー)」になる。
 「居心地の悪さ」「よそ者意識」を感じることこそが
 文化を知るためには、最良の方法。
○どっぷりつかってしまうと見えないことも多い。
・異文化理解の体験を通して、自分自身の育ってきた社会や文化さえも
 相対化して眺めることができたときにこそ、真の意味での「第三の目」を
 獲得できたといえる。
・自分が現場で見たり聞いたりしたこと、体験したことだけを
 「絶対的な真実」とするのは非常に狭いものの見方。
 フィールドワークに特有の「恥知らずの折衷主義」は、
 「トライアンギュレーション(方法論的複眼)」あるいは
 「マルチメソッド(多元的方法)」に近い。
・サーベイ(統計的・定量的)とフィールドワーク(事例・定性的)は、
 互いに補いあうべきアプローチ。
・フィールドワークを行う時には、折にふれて次のようなことを
 チェックし、それを記録に残しておく必要がある。
1)「調べようと思っている問題は、いま、どの程度明らかになったのか?」
2)「明らかになったことは、はじめの予想と同じだったか?
   違っていたとしたら? 思いもよらなかったような発見は?」
3)「まだ分かっていないことはどんなことなのか?
   それを明らかにするには、どのようなデータを
   どのような手順で集めればよいのか?
   そうした場合、どんな結果が出ると予測できるのか?」
・読みやすくまた分かりやすい民族誌というのは、著者が明らかにしようと
 思っている「本質的な問い」がどのようなものであり、その問に対して
 著者が「提示する答え」がどのように対応しているか、という点が
 読者にも明確に読み取れるものになっている。
・民族誌というモノグラフを書く作業を通してフィールドワーカーが目指して
 いるのは、その土地の社会と文化の全体的骨組を大づかみにして把握し
 理解できるような「モデル」を作ること。
・科学的調査 信頼性と妥当性を区別する。
 フィールドワークは、信頼性では他の方法に比べると劣るが、
 妥当性では群を抜いて優れている。
○アメリカの大学で人類学を学んでいたころ
 「科学的とは再現性があるもの」という話が出たことがある。
 そういう意味で、人類学のフィールドワークでは、
 Aさんが描くC文化の民族誌と、Bさんが描くC文化は違うものになることから
 人類学は科学的とは言いづらいという話になった気がする。
 でも、妥当性は優れているということだったんだ。
・成功例ばかりを参考にすると、無用なあせりが生じやすい。
 むしろ失敗例やその体験談を参考にした方が精神衛生上は得策。
・関与しながらも距離をたもち、身内でいるようでいて実は部外者の目で
 観察もしている。参与観察者はしばしば自分を一種のスパイのような存在として
 感じてしまうことがある。
○これはあるだろうなー。
・フィールワーカーはいつかは調査結果を何らかの形で公表するということを
 折にふれてインフォーマントに明らかにし、結局は「友だち」という立場を
 悪用し相手を搾取してしまったということがないようつとめるべき。
○別の本(組織と文化)の事例として出ていた「洗脳するマネジメント」の
 記述で感じたのが、これ。
 ああいう形で公表したら、もうああいった形で調査はできなくなるのでは。
 企業からの信用も失って。
 まだ読んでいないから、読んでみて再度考えてみよう。
・フィールドワーカーは、調査の対象となる人々に対して自分が与える 
 2種類の影響に関して義務と倫理的責任を負っていることを十分わきまえて
 おかなければならない。
 
 ひとつは、現地で調査活動をおこなっている最中に、自分が現地の生活に
 対して与える影響であり、もう一つは、その調査活動の成果を民族誌として
 発表するときに、その出版がもたらす影響である。
○おそらく著者の佐藤先生自身が様々な状況に出会い、悩んだのだろう。
・フォーマルなインタビューが「聞き出す」あるいは「情報を収集する」
 という性格をもつものだとしたら、
 フィールドワークのインフォーマルインタビューの場合は「教えてもらう」
 あるいは「アドバイスを受ける」という表現がふさわしい。
・「分類の誘惑のワナ」
 既存の枠組みで自分を縛ることになり、それ以降の
 新たな発見の芽をつみとってしまう。
 (手持ちの情報だけで)あるレベル以上のレポートをまとめられそうな
 見込みが立つと、その範囲を超えてまで調査の範囲や視野を広げるのは
 ひどく億劫になる。
○これも気をつけないと。
 自分に都合の良いデータだけ、自分の仮説に合うデータだけしか
 使わないということがないようにしないと。
・「分類」が独特の枠組みをもとにして物事を振り分けていくのに対し、
 「配列」はごく一般的な基準(数字の大小や時間の前後)で対象を並べていく。
 配列の原理を活用することで、自分の枠組みにとって都合のよいデータも
 都合の悪いデータも一緒にリストアップできる。
・フィールドノーツの作成というシンドイ作業は、長期にわたる
 フィールドワークを通して得られる新たな発見や現地に根差した理論という
 実りを約束してくれる、現場(フィールド)におけるもっとも大切な
 仕事(ワーク)の一つ。
・テーマと筋立てを見つけ出していく「定性的コーディング」の作業を通して
 仮設あるいは理論がボトムアップ的に立ち上げられていく。
・「自己目的化したファイリング」「整理のための整理」のワナに陥らないよう
 にするために、折にふれて中間的なテクスト(構成案、下書き、ラフスケッチ)
 を作っておく。
・テープ起こしよりは、インタビューの最中にとったメモをもとに記憶を
 たどりながら話の内容をフィールドノーツにまとめる方がはるかに効果的。
 証言について考察をめぐらす仕事をおろそかにしないように。
・内省的な記録としての日記は、しばしば現地で味わったカルチャーショックから
 くるストレスに対する自己治癒の手段となる。
 異文化の中における調査者の位置づけを確認する自己点検の手段としても重要。
・(自分に対して驚くほど正直であり続けるマリノフスキーのように)
 カルチャーショックの中で自己を厳しく見つめ直す努力こそが
 フィールドワークの真髄。

投稿者:関根雅泰

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