○慶應MCCの「神話学」がきっかけで読んだ本。山伏の瀧田さんから聞いてた話が、少しずつ繋がってきた(1冊)
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『現代修験道の宗教社会学~山岳信仰の聖地「吉野・熊野」の観光化と文化資源化』天田顕徳(2019)
・日本人が信仰によらない登山を始めるのは、20世紀に入ってから。
・日本において、山は一貫して「聖地」なのである。
・山岳修行を「山岳登拝(もうで型)」と「山岳練行(こもり型)」に分類。
・「解釈」は、変化する個別の事例の中に、不変性を見出すという仕方で行われてきた。
・「講」は、修験道の担い手の拡大再生産の場である。
・明治新政府による「神仏判然令」と「修験道廃止令」により、本山派・当山派の両教派は、天台・真言両宗への帰入が命じられ、制度宗教としての「修験道」は社会からその姿を消した。
・山岳における修行を通じて得た験力を、里において発揮する。
・修験者は、山上の修行を主旨とする。
・「講」とは、ある目的を達成するために結ぶ集団。
・明治新政府は、大国派・平田派の国学思想の影響のもと、神仏を分離し「天皇親権による祭政一致」や「敬神崇祖」の達成をめざし、矢継ぎ早の管制発布を行った。
・1872年の修験道廃止令
・民族地図では、2つの講のみが掲載された関東地方には、近世期「霞」と呼ばれる本山派の支配地が多く存在していた。
○「霞」の話、瀧田さんに聞いたことがある。多武峰神社に行った時。
https://tokigawa-company.com/yamagyo-and-takigyo/
・西欧的なBeliefに対する東洋的なPractice
・大峯奥駈道は、本山派、当山派がともに「根本道場」として重んじた聖地。
・熊野から吉野へと辿ることを「順峰」、吉野から熊野へと辿ることを「逆峰」と呼ぶ。
・「講から修行縁へ」という形で、緩やかに開かれているのである。
・必須なのは、白の地下足袋、金剛杖、檜笠の3点である。
・地下足袋は、足裏の感覚を通じて、山とつながるための道具。
・山での苦行を通し、日々の生活を反省し、神仏への感謝を新たにする宗教実践。
・比丘尼とは、梵語ビクシュニーの音写で、男性出家者の比丘に対し、女性の出家者を表す。
・絵解きという実践が、人に対して、時に強烈な印象を残す。
・外部の権威からの価値づけが、それまで何気なく生きていた日常の土地が「特別な地」であることを、彼らに認識させた。
○比企ら辺まるごとキャンパス化も、先々、外部権威から価値づけされるようにしたいな~。
・霊山や修験道の「開放化」
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