研修転移のルーツ(3)ソーンダイク(1901)後の転移研究

ライブ配信

ラーンウェル代表の関根です。

2022年4月25日(月)朝5時15分~5時35分、ライブ配信を行いました。

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前回(4月18日)参加されたノリコさんから下記質問を頂きました。

●ノリコさんからの質問

>教育学ということは、教職をとっていらっしゃる方は皆さんこれ(形式陶冶説)をご存知なのでしょうか?

●元教員のよしきさんからの回答

結論をいうと、皆ではないです。ただ、教育論を学ぶ中で必ず触れる概念です。以下、自分の考えも含めて「学力」と「形式陶冶」を絡めて話します。

学力の定義は時代に合わせて変遷します。いまの文科省が言う「確かな学力」では、知識の定着以外にも、学ぶ態度や学んだことを実践する意欲なども含まれるようになりました。教科書を学ぶことが学力ではないと、人々のイメージも転換しつつあるのかなと思います。

「生きる力」がテーマの現代では、生きるために必要な学びを自ら取りいくといった姿勢や態度が「学力」に含まれます。どちらかの陶冶説なのか区分けできない「共通部分」が、現代の学力という個人的なイメージです。

>教職課程において、形式陶冶説等は、学ぶものなのでしょうか?

上記に関わりますが、「形式陶冶」として言葉では学ばないですが(いや、学んだのかもしれませんが、記憶にないです)、教授法や指導観としては必ず触れる概念だと感じます。長々と書いた割には答えになってないかもしれません 笑

(ノリコさん、よしきさん、ありがとうございます!)

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●4月25日(月)研修転移のルーツ(3)

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・週末は、息子達とキャッチボール。

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・ソーンダイク(1901)後の転移研究

・C.H.ジャッド(1908)は、ダーツを投げる実験を通じて、一つの場面での経験が、一般法則として、他の場面に適用されるという「一般化説 theory of transfer by generalization」を提示。

・Dettermanディッターマン(1993)は、1901年から1989年までの転移研究をレビューした結果を総括し、ソーンダイクの主張である「転移は稀」をひっくり返すものはないと述べ「形式陶冶という教育哲学を支持するエビデンスは存在しない」と断じている。

・ソーンダイク(1901)の実験後、「形式陶冶は死んだ」とまで言われた形式陶冶説に、灯りをともしたのが、アメリカの教育学者 Jerome Brunerブルーナー(1915-2016)であった。

・ブルーナーは、「前の学習が後の学習をより能率的にやらせる第二の方法は、便宜的に非特殊的転移、もっと正確に言えば、原理や態度の転移と呼ばれているものを通ることである」(Bruner,1960)と述べている。

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・今週は、断食合宿に行って「比企学」本(安岡正篤先生)読みにいそしむ。

・参加されたお一人 渡邊さんのウェブサイト (一社)日本フューチャーラーナーズ協会 

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・今日は、ライブ参加 6名でした! ありがとうございます!

次回は、5月2日(月)5時15分から、15分~30分程、テーマは「転移のルーツ(4)」です。お楽しみに!

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●参加者の楠田リエさんによるメモ (ありがとうございます!)

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2022/04/18MMMT「研修転移のルーツ(3)」メモ

マンデーモーニング、学びタイム!

毎週月曜日、朝5:15~

★記録者:楠田

<楠田個人の振り返り>

形式陶冶説、実質陶冶説、一般仮説、特殊的転移、一般的転移…と様々な理論が出てきて、最初は理解が追いつかなかった。でも、関根さんの動画を視ることできっと自分で本を読むより何十倍も理解しやすくなっている。「受験のための勉強」とは違い、しっかりと頭に入ってくる。形式陶冶説は、批判されたり支持されたりの歴史が激しいけど、ブルーナ―の「頭の中で構造を理解すれば他のことでも活かせますよ」という考え方は学びへの意欲を後押ししてくれる。

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<オープニング>

週末はいかがお過ごしだったでしょうか?

(関根さん)

息子さんたちとキャッチボール

<ボディ>

■前回までに学んだこと

プラトン、ロックによる形式陶冶説(4/18のMMMT)

ソーンダイク・ウッドワース(1901)による転移研究(4/11MMMT)

今回は、ソーンダイク(1901)後の形式陶冶説について

■ジャット「転移はある」「一般仮説」

ジャット(1908)

ダーツを子どもたちに投げさせる実験を通して、「一つの場面での経験が一般法則として他の場面でも応用可能である」ということを提示した

何か一つ学ぶと、頭の中で一般化して「これって多分ここでも使えるんじゃないか」と考えて応用できる、つまり「転移はある」という「一般仮説」という理論を提示した

ソーンダイクの「同一要素説」は、「同じものがないと転移はしない」

ジャットの「一般仮説」は、仮に違うツールを使っても、自分の中で「これってこういうふうに使えるんじゃないか」と考える

■ディッタ-マン「転移はほぼない」

ディッタ-マン(1993)

transfer on trialの第一章で転移を滅茶苦茶に批判、「転移なんてない」とメタ切り

trialとは裁判のこと、つまり「転移を裁判にかける」

ソーンダイクとウッドワースの研究の1901年から1989年までの約90年間の転移研究をレビューして、「ソーンダイクの『転移は稀』という主張をひっくり返せていない」「形式陶冶説を実証するエビデンスはない」…つまり「転移はほぼない」と言い切った

佐藤先生(1979)の「形式陶冶説やそれに近しいこと」「何か一つ学べば他のことにも応用可能」という考え方も否定

ソーンダイク(1901)の実験後、「形式陶冶は死んだ」とまで言われた

■ブルーナ―「一般的転移はある」

死んだとまで言われた形式陶冶説に明かりを灯した人物が現れた

アメリカの教育学者ジェローム・ブルーナ―

「教育の巨人」と言われている

著書「The culture of education」「The Process of Education―教育の過程」(1961)

「形式陶冶は死んだ」と言われても、「実質陶冶」や「特殊的転移」はある程度あるのではないかということがブルーナ―よりも前から言われていた

実質陶冶:「使う場面があってそれをやるために学ぶ」「同一要素とも近い」「これを学んでこれに活かすというのがハッキリしている」→転移しやすいと言われていた

特殊的転移:一般化(ラテン語を学んで他のことに転移する)は無理だけど、特殊な状況(数学を学んで数学が生きる仕事…例えば統計分析など)では転移する

※レジュメ「転移の間の関連性」参照

ブルーナ―は、「非特殊的な転移」つまり「一般化の転移もあるのではないか」と主張

特定の科目が別の状況に転移するというよりも、その科目を学ぶ際にその科目の構造や原理や態度、学び方(learn how to learnーどうやって学べばいいのか)を学ぶことによってそれが他のところでも活きる

ジャットの言っていた「一般仮説」に近いような形で「形式陶冶もあるのでなないか」と述べた

ソーンダイク、ディッターマンによって「形式陶冶説は死んだ」と言われたが、ブルーナ―によって「頭の中で構造を理解すれば他のことでも活かせますよ」と形式陶冶説にまた明かりが灯された

■ブルーナ―の影響

ブルーナさんと言えば「教育の巨人」

色々なところで影響が出ている

中原先生、島村さん、林さんと執筆中の「研修評価の教科書」でも中原先生が引用している

「Actual Minds,Possible Worlds」(ブルーナ―著)

人間の理解の中には2つのモードがある

数字と物語

パラディクマティックモードとナラティブモード

人は数字と物語を使って理解するから、数字と物語を使った説明が有効である

研修評価の提示の仕方にも非常に関係してくる

細田誠さん:大学のある時まで形式陶冶の考え方は私も無いと思っていましたが、今は転用できるようになってきました。やはり、これは学び方を学んだことによるのでしょうか?

関根さん:ブルーナーさんの考え方にのっとれば、きっとそうなんでしょうね。あとは、当時は分からなかったことが、時を経てみれば「これってこうだったかも」とそこで転移ができたり応用ができたりということもあるかもしれないですよね。当時は目の前の分かりにくかったことが、色々な経験をされて時が経ったことによって応用しやすくなったと。転移の言葉で言うと、フォワードリーチングとバックワードリーチングという考え方もあるんですけど。学校でやることはどちらかというとフォワード。この先で使えるんじゃないかということで、科目を学ぶ。バックワードリーチングは、自分が経験してみて「これってこうだったのかな」と振り返る形。もしかしたらまこっちゃんが書かれていることはバックワードチーリングに近いものなのかもしれないですし、および、学び方を学んだから、一つのことで学んだことを他で応用しやすくなってらっしゃるのかもしれないですね。

■東大大学院の授業

10年前、東大大学院の授業で、ブルーナ―とブルーナ―を日本に紹介した(翻訳した)水越敏行先生を取り上げた回があった

水越先生の息子さんが東大の教授だった

「すごく面白かった」

「大学院や大学の授業ってやっぱり面白いですよね」

「大人になって改めて学ぶと知らないことが多いですし」

「さっき言ったように、経験を積んできているからこそ、原理原則を学ぶと応用しやすくなるというのはあるかもしれないですし」

「学びは奥深いですね!」

■教育学における転移と企業研修における転移

教育学における「学習転移 Transfer of Learning」

1つの科目から他の科目への転移、応用するのか

ちょっと大きくすると、学校で学んだことが社会に転移するのか、というものが多い

形式陶冶や遠い転移

時間も経っているし場所も離れてしまう状況での転移が扱われているものが多い

我々が扱っているのは、企業研修における「研修転移 Transfer of Training」

もっと近い

研修で学んだことを職場で実践してほしい

まさに実質陶冶

前提として職場でやってほしいことがあって、それを研修で学ぶ

全然関係ないことを学ぶのではなく、より近しいものを学ぶ、近い転移(近転移)

そこで昔から言われてきているのは「knowing doing gap」

研修で知識を得た後、職場で実践してほしいけど、そこに差ができてしまう

なかなか実践されないことが企業研修における問題

学校、教育学で扱うような転移よりも狭いところを研修転移では見ている

それでも難しい

実質陶冶、一般的転移、特殊的転移はある、と言われていながらも実践されない

分かっていてもやらない、できない、それはなんでなのか?

■フレイシュマンによる企業における研修転移研究

フレイシュマン(1953)

分かっていてもやらない、できないのは何故なのかを見ていった

これがルーツかどうかはまだ分からないが、色々見ていった中ではこれが戦後、企業研修における研修転移の最初の研究ではないかと関根さんは見ている

分かっちゃいるけどできない=knowing doing gap

何ができない理由なのか?次回見ていく

小林豊さん:学び方を学ぶ learn how to learn いい言葉ですね

渡邊壽美子さん:とても勉強になります!

<クロージング>

みなさんは今週はどんな学びが待っているのでしょうか?

今週は後半からGWスタート

「比企学」の勉強

比企といえば武蔵嵐山

日本農士学校を設立した安岡正篤先生の本を読んでいる

東洋の古典(論語、老荘、王陽明…)を研究された方

今日から神川で断食合宿

夕食・朝食を抜いてお茶だけ飲む

お酒と食事を抜いて体を整える

次回は5/2(月)、それでは!

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投稿者:関根雅泰

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