「大人の学びって何だろう!?」ワークショップに参加してきました。

企業内教育担当者向け

08年12月5日(金)青山学院大学大学院主催
「大人の学びって何だろう!?」ワークショップに参加してきました。

18時30分スタート
1)ビタハピ
まずはグッドデザイン賞も受賞した「ビタハピ」を着た
コミュニケーションアクティビティー。
http://www.g-mark.org/search/Detail?id=34905&sheet=designer
少し遅れて到着した私には、ビタハピがなく、
寂しい時間を過ごしました(苦笑)。
少しして、ビタハピがない人同士で集まって
グループワークをしました。
2)「大人の学び」と「子供の学び」
グループで「大人の学び」と「子供の学び」の特徴を
ポストイットで書き出し、1枚のポスターを作るという作業をしました。
最後に
「大人の学びは、○○のようなもの」
「子供の学びは、○○のようなもの」
という比喩を考えます。
私たちのグループでは、
「子供の学びは“粘土”のよう。大人の学びは“レンガ”のよう。」
という比喩にしました。
他のグループでは、次のような意見が出ていました。
(解釈は、私の理解不足の点があります。)
「子供の学びは“北風”。大人の学びは“太陽”」
(子供はやらされる。大人は自らやる。)
「子供の学びは“衛星”。大人の学びは“恒星”」
(大人は自ら輝く。子供は大人に引っ張られている?)
「子供の学びは“東京駅”。大人の学びは“目白駅”」
(子供は色々なことを学び、色々な方向へ旅立つ。大人は山手線一本のみ?)
私たちのグループでは、助産師さんや看護師さんがいた関係で、
「子供」を新生児からとらえて、話が進みました。
赤ちゃん → 子供 → 小中高大学 → 社会人 と考え、
「社会化」されていくほど、大人の学びは「固く」なっていくのでは、
という意見が出ました。
「子供」「大人」をどうとらえるかで、変わってくるかもしれませんね。
3)社会に出て、自分が一番学んだと感じた出来事は?
今度は、くじ引きをもとに違うグループとなり、
「社会に出て、自分が一番学んだと感じた出来事」を
レゴブロックで表現するというワークをしました。
レゴを作り、手を動かしながら考えるよう指示されました。
私は、会社を辞めて独立起業したときが、一番学んだときだとして、
レゴを作りました。
グループ内で、それぞれの出来事をリアルに語り合う
という時間がとられました。
・学生から社会人になったとき
・やったことないダンスのサークルに入った時
・免許がない上司をほぼ毎日同乗させて仕事をしていた時
・大きなプロジェクトで親しくなかった先輩と
 コミュニケーションを取ろうと決めた時
・無我夢中で何かに取り組んでいる時
色々な話がでました。
それらの話に共通点がないか、ということで
・研修という出来事は話にあがってこない
・未知の体験
・人との出会い
・失敗体験
・追いつめられる
などでは? と話が弾みました。
産能大の長岡先生からも
「大人はつらい体験や、追い詰められないと学べないのでしょうか?」
というコメントがでました。
4)青山学院大学大学院の紹介
青山学院大学の高木光太郎先生から、ラップアップのコメントとして
・大人の学びは多様
・変わることが学ぶことでは
といったお話しがありました。
最後に、社会人大学院としての「ヒューマンイノベーションコース」の
紹介がありました。魅力的な内容でした。
5)帰り道
ワークショップが終わり、池袋駅でスパゲッティーを
食べて帰ることにしました。
もうすぐラストオーダーという時間だったのですが、
隣にカップルが座り、メニューを見始めました。
その時、ふと
「大人は
 “他人は他人、自分は自分”
   と思える人ではないか?」
つまり大人は「確固たる自分」をもっている。
子供には「確固たる自分」はまだ確立されていない。
そう考えると、大人が学ぶためには、
「確固たる自分」をもっていても「柔軟」に学ぶ
本人の姿勢が必要なのでは?
では、どんな時に「確固たる自分」をもっている大人が
「柔軟」に学べるのか?
それは、つらい体験をしたときや、追い詰められた時、
悩んでいるとき、苦しんでいる時など、
「今までの自分のやり方、考え方では上手くいかない」と思うとき、
大人は柔軟に学ぶ姿勢をもてるのでは?
過去の経験などから培われてきた「確固たる自分」が、
「ゆらいでいる時」に大人は学ぶのでは?
環境が変わり未知の体験をせざるを得なくなったり、
自分の過去の常識が通用せず自信を失ったりしたときに、
大人は学ぶのでは?
つまり大人が学ぶためには
「ゆらぎ」が必要なのでは?
考えがいのあるテーマですね。

投稿者:関根雅泰

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