ミッションとビジョン

「学び上手・教え上手」を
増やす!

それが、ラーンウェルの
ミッション(理念)とビジョン(夢)です。

株式会社ラーンウェル
代表 関根雅泰

かなえたい夢

私には夢があります。

「日本の教育を変える」「家族を幸せにする」

ともに、大それた格好いいことを言っていますが、
60歳くらいまで生きる間に、なんとか形にしたいと思っています。

私は「教育」という道を通して、日本をもっと良い国にしたいと考えています。
多くの方が感じているように、私も「日本の教育はどこかおかしい」と感じています。

誰が悪い、誰のせい、という話ではありません。
また、何が正しくて、何をすればよいのかも、はっきりは分かりません。
特に、教育に関しては、様々な意見、考え方があります。

私自身は「学び上手」「教え上手」という観点から、教育に携われたらと考えています。

夢のきっかけ

「日本の教育を変える」

こういう夢を持ったきっかけは小学6年生のときに抱いた“ある疑問”でした。
このとき抱いた疑問が、今の自分につながっています。

中学時代は校則やいじめの問題が多発していました。
高校は県立の普通科に通いました。

周りの皆が大学受験を準備する中、自分は大学に行く意味を見出せませんでした。
「何のために大学に行くんだろう?」やりたいことも見えず、
かといって高卒で就職するのも現実感がなく、
選んだ道がアメリカ留学でした。

親の援助が得られたことと、
たまたま知り合いにアメリカに行っていた人がいたことが大きな理由でした。
最初は英語ができるようになれば
将来役に立つだろうぐらいの軽い気持ちで渡米しました。

アメリカの大学に
留学して

ところが、アメリカに留学してあることに気づき、その後の人生が変わってしまいました。

十八歳でアメリカに行って気づいたこと。それは「学ぶ楽しさ」でした。
英語学校時代から母国語以外で知識が得られることが楽しくなってきました。

更に、二人の先生との出会いが「学ぶ楽しさ」を加速させました。
一人は二年制大学(コミュニティーカレッジ)のときの世界史の先生、
そして四年生大学(ユニバーシティー)での人類学の先生でした。

この二人の先生は講義形式だけでなく、ビデオ教材、体験学習、グループ討議など、
今思えば「おとなの学習」理論を実践してくださっていた方々でした。

この二人の先生に出会ったおかげで、私は「学ぶ楽しさ」を知り、
教育という分野に一生をかけていこうと決めることができました。

学ぶ楽しさを知ったせいか、勉強も楽しんでできたため、
1年目から各科目でA評価をもらい
ミシシッピー州から奨学金をもらえるようになりました。

そうすると、プレッシャーがかかるので、更に勉強し、
今度は4年制の大学から奨学金をもらえるようになりました。
そのお金で、4年制大学で「人類学(考古学・言語学)」と
「国際関係学(政治・歴史)」を専攻し、卒業しました。

この頃、感じていたのが、アメリカの懐の広さです。
たとえ外国人でも、奨学金を出し、学業を応援する。

延べ六年間のアメリカ生活で気づいたのは「学ぶ楽しさ」ともう一つ、
自分がいかに日本のことを知らないかでした。

そのまま大学院に入るという選択肢もあったのですが、
日本を知らないアメリカかぶれの人間になるのが嫌で、日本に帰ってきました。

日本での
最初の仕事

帰国してすぐの就職先は、小中学生向け学習教材の訪問販売の仕事でした。
周囲からは反対されました。「何でアメリカの大学を出てまで、そんな仕事を・・・」

確かに大変な仕事です。ただ、教育に携わる仕事、そして若いうちしかできないような
地べたを這いずり回るような仕事、という2点からこの仕事を選びました。

営業として、何度かトップセールスにもなり、
新しい教材の開発等の仕事にも携わるようになりました。

「ピンポーン」というインターホンから、いかに玄関ドアを開いてもらい、商談に持ち込むか。
いかに2時間近く会話をするか。その中でいかに契約書に判を押してもらうか。
しかも翌日キャンセルがないようなやり方で。

こういうことを考えながら、営業を3年間してきました。
営業では、主に「お母さん」と会って話をします。

そんな中、2人の「お父さん」に出会ったことで、転機が訪れました。

転職で
「おとなの学習」に
出会う

その2人の「お父さん」一人は自営業者、一人はサラリーマンでした。
そのとき聞いた話が、転職のきっかけになりました。

「ビジネス」の話です。

「日本の教育を変える」という夢を実現するためには、「力」が必要である。

その「力」を得るためには、
今日本で力を持っている「男性」「50代以上」の人達と関わり、学ぶことが必要である。
その為には、彼らがいる「ビジネスの世界」に出なくてはならない。
そんな風に考えました。

ちょうどそんなとき、町の本屋で転職雑誌を手に取りました。
そこに出ていた「企業内研修会社」のPR文句
「大人の学習のお手伝い」という言葉に、ピーンと惹かれ、転職を決めました。

27歳で、企業内教育コンサルティング会社に転職しました。
大手企業の人事部や教育部に対して、研修を販売する営業と、
実施をする講師を5年ほど務めました。

とてもやりがいのある仕事で、周囲の先輩方からも色々学ばせて頂きました。
前職には、とても感謝しています。

独立のきっかけ

ただ、その反面、組織に属する人間の宿命として、
「好きなことができない」「時間を会社にとられる」と感じていました。

会社では、中堅として、色々期待されるようになります。
責任も重くなる。 帰りが遅くなる。

結婚して、子供も生まれて、家長としての責任も、重くなってきます。
子供はかわいがりたい。 でも、帰りが遅い。妻の育児ストレスが、たまってくる。
朝早くから出勤し、帰りは子供が寝た頃。
きっと、このままサラリーマンを続けていくと、もっと忙しくなり、
会社に縛られるようになります。

「このままでいいのか?」と思うようになりました。

そんな中、父が癌で亡くなりました。
それがきっかけで、「終わり」ということを強く考えるようになりました。

33歳で独立し、現在は「学び上手と教え上手を育成する」ラーンウェル代表として
「おとなに対する教育」を中心に仕事をさせて頂いています。

私は「学び上手」「教え上手」が増えれば、日本の教育は変わり、
ひいては日本という国はもっと良くなると考えています。

そのために、現在は「新入社員教育」に力を入れた活動をしています。
では、何故「新入社員」なのか?

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